2008年03月

区切り

2008年03月31日

球春です。

センバツに続き、プロ野球が開幕しました。
春ですね。

我等が中日、初戦は広島と引き分けましたが、それは、愛嬌。
土日と二連勝。これで、今年の完全優勝は決まりです。

対抗は阪神。何処まで、喰らい付いてくるのか?楽しみです。
セリーグの興行にも影響します。お盆明けまでは、頑張って欲しいものです。

なりふり構わず、四番打者や最速ストパーを「大金」で補強した巨人。
それが、出足から、資金難のヤクルトに三連敗。

もがいても、もがいても、後手、後手に回り、凋落傾向に歯止めの掛らない。
どこかの政党に似ている気がしてなりません。

この三連敗は、解説者の言を借りれば、調整不足だそうです。
しかし、そうでは、ないと思います。

昔の名前でなんとかなる。腕ずくで、ねじ伏せれると高をくくっている、そんな驕り。と、
まじめに準備もせず、だらだらと、本番を迎えた結果だと思います。

他球団や世間をなめて掛った報いとは、思いたくありませんが。
スタートにあたっては、きちんと、区切りを付けて望まねば、との教訓と受け止めたいです。

明日、4月1日は我社の2008年度の開幕です。

今日一日。積み残しや先送りせず、07年度にきっちりと「区切り」を付けて、
最高の一年を迎えたいものです。
                     Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月31日 06:03 | コメント (0)


披露宴

2008年03月30日

誇りに思います。

昨日は、我社の将来を担う有能な社員の
披露宴に招待いただき参列しました。(今月二組目の社員同士の華燭です。)

我社も創業30年を経て、私の娘や息子の世代が一生懸命頑張っています。
その人たちが、仕事で知り合ったのを、縁に、結ばれ、門出することはとても嬉しいことです。

幸せになって欲しいと心から願います。
合わせて、その子達を、手塩にかけ、育ててこられた両親をはじめ、
関係者のご苦労を思いますと。それは、まさしく、我が事です。

機会を頂き、祝辞を述べさせて頂きますが、その思い、その感謝が、思わず口をつきます。

最近は、結婚式や披露宴が、若い二人の意思を尊重し、様々な形式で催されます。
それは、それで、時代の趨勢、趣向があってしかるべきだと思います。

昨日の披露宴は、仲人こそありませんでしたが、司会者による、二人の紹介。
来賓の挨拶(私ですが)に始まり、新郎、新婦側の代表の挨拶。友達、親戚の祝辞と。

場所はホテルですが、家と家が、二人を支えた人たちが、
宴席を囲み、二人を讃える、日本古来の形式を整えた、とても、オーソドクッスな披露宴でした。

新婦が、手紙の形式で、両親、兄弟に、感謝の意と礼を述べ。
嫁ぐ先の、お母さんに、心を込めて、「よろしく」と許しを乞う。

参列者は、花婿、花嫁との関係に思いを馳せ、
花嫁の決意に、目頭を熱くして、祝福する。

私は、その涙が、どんな趣向を凝らした披露宴よりも、披露宴らしい披露宴だと思います。

人は自分ひとりで、大人になった分けではありません。
そのことを十二分に理解し、それを、率直に語る二人に、心より敬意を表します。

門出には、祝ってくれる人に、祝って頂くのが、自然です。
その自然を、甘受し、自然に逆らわないことが、とても、大切だと、最近つくづく思います。

結びに、新郎が、何度も感激に、言葉を詰まらせながら、花嫁のご両親に感謝し、
母親に、感謝し、そして、参列者に礼を述べ、幸せを誓う。とても、感動でした。

そんな、素晴らしい披露を演出した二人。
その二人の縁を、我社が取り持ったと思うと、それは、私の大いなる誇りです。

おめでとう。                       Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月30日 06:27 | コメント (0)


喉元

2008年03月29日

忘れないって、難しいことですすね。

毎日、溢れるように事件が起こり、ニュースが駆け巡ります。
私は新聞症候群です。新聞を読まないと。いや、その日の新聞が手元にないと不安で仕方がない。

それも、六紙に目を通さなければ、落ち着きません。弱ったもんです。
朝日に掲載されていない記事が、毎日にあれば、にんまり。

読売の記事と日経では見方が違うと、なるほど。経済特ダネを中日で読めば「え〜」と驚き。
地元紙のはずのスクープが、全国紙に載れば、得意げな記者の顔が浮かぶ。

新聞で、情報を得る楽しみの他に、新聞作りの現場を想像したり、各紙の比較を楽しんでます。
でも、最近、新聞をめくりながら、ふと?思うことがあります。

それは、新聞が本末転倒しているのではないか?ということです。
何が、転倒しているか?と申しますと、

新聞は情報を伝えるために、発行されているはずなのに?
発行するために、情報を掲載する、という、本末転倒です。

つまりは、本来情報でもないものを、決められた紙面を埋めるために。
決められた時間に配達するために。無理やり記事にして、発行していのではないかとの思です。

この地球上には、60億を越す人間が暮らし、生きているわけですから、
そこには千差万別の事件やニュース起こります。伝えねばならない情報は山ほどあるでしょう。

それを伝えるのですから、本来情報でないものと、あるものを選別するのは難しい。
しかし、隅から隅まで、新聞を読む病気、「新聞症候群」の私には、

今朝の朝刊で伝えねばならない。今日、理解を深めねばならない。という、記事には納得しますが。
ためにする記事が多すぎます。(ためにする記事とは、読者が興味を持たない無駄記事です)

無駄な記事などない。とおっしゃるでしょうが。公平、公正の名を借りた、右を切れば、左も。
過去を切れば未来も。無理やり中立性を保とうとする記事は、無駄記事です。

ためにする記事は、発行するための穴埋めに思えてなりません。

だから、本末転倒ではないか、と思うのです。

人が、物事を忘れるように。(私なんかは、忘れたことも忘れてしまいますが)
どんな重大な事件でも月日がたてば風化します。

新聞が、発行のための「ため記事」を減らすには、
過去の事件やニュースをリメイクする紙面を持つべきではないでしょうか?

新聞に新鮮さが必要という、考えは、思い上がりです。
新聞の使命も変わりつつあります。

人間の愚かな過ちに、警鐘を鳴らし、
それを競い合う、そんな新聞であって欲しいと願います。

喉元過ぎれば、熱さ忘れて、同じ過ちを繰り返す、
人間への警鐘こそ、新聞の使命だと思うからです。
                                Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月29日 05:41 | コメント (0)


謝謝!

2008年03月28日

どの程度のスピードが妥当か?

昨日は名古屋から一駅隣の、横浜中華街で、美味しい料理をご馳走になり、
安定感溢れる若き経営者(34歳と伺いました)に勉強させて頂きました。

新幹線は、本当に速いですね。
20時20分に中華街で「再会」の握手を交わし帰路、新横浜発49分「のぞみ」。22時12分に名古屋着。交わした話の内容を整理する間もないほどの、時間です。

名古屋を10時16分の快速に乗り、50分には自宅です。
岐阜と名古屋は、18分。忌憚のない会話は心が和むと、頭を巡らせる間もなく岐阜。

交通インフラの発達は、身体を目的の場所に迅速に運んでくれますが、
そのスピードと、頭や気持ちの回転が、噛み合わない。

社会の動きはどの程度のスピードが、妥当なのか?

例年より、少し早まったかな?って、言われる桜の開花も、
自宅前の公園の桜。満開は、やはり、例年通り、4月初旬の模様。

若き経営者の「社員。一人ひとりの歩みと成長。小さなことを着実に積みあげることを大切に、
神奈川でエリアワンの力を、身に付けたい」との安定感ある言葉。

世の中、早く、速くと急かされます。

しかし、自然の移ろい、自然の巡りより突出しますと、
一時は、上手く行くかもしれませんが、それは、過信になります。

過信すれば、転ぶのが常。

美味しい中華料理を思い起こしながら。
あの深みのある味は、一朝一夕に生まれたのではない。

中国5000年の積み重ね。
何事も、自然の巡りより、慌てることはない。

と若き経営者に、また一つ、教わりました。
                       謝謝!
                         Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月28日 06:02 | コメント (0)


卒業

2008年03月27日

小学校の思い出ってありますか?

卒業式のシーズン。
母校の金華小学校。今年の卒業生は35人。昨日元気に巣立ちました。
6年間。まずは、ご苦労様でした。ご家族に心より、敬意を表します。

私たちの頃は、一学年で330人。全校で約1600人を超える児童がいました。
それと比べるなんの意味も、ありませんが、少子化を実感します。

直線距離にして約1km程の隣の京町小学校。全校で183人。卒業生は33人。

市教育委員会は07年3月、「6年間ずっと同じクラスというのは好ましくない」との理由で
両校の統合を決めました。

両校は、元々同じ学校。1873年学制公布を受け明治6年の設立。
創立から13年後に分かれ、そして、135年後に再統合されるわけです。

人の世は離合集散を繰り返すものですが、いままで、そこにあったものや。
拘ってきたものが、無くなるのは、理由の如何を問わず、とても、寂しくて、悲しいものです。

しかし、135年の時を経て、元に戻るとなりますと、
また、別の感慨を覚えます。

135年の歳月を刻み、三月。ここの地域で育った、私たち一人ひとりを見守り、育んでくれた、
二つの「小学校」も、68人とともに卒業。

統合された新小学校へ移管する全児童の入学を心より祝福し、
二つの小学校に感謝します。

ありがとう。一杯の思い出を。       Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月27日 05:57 | コメント (0)


生きた証

2008年03月26日

昨年の12月初旬です。
一冊の機関誌を頂きました。
それは、私が今までに手にした、どの会社の社内誌よりも、内容の充実した季刊誌でした。

取り分け、興味深く読ませてもらったのは、
「逆境からのチャレンジ、夢を持ち、そして一歩踏み出す」のタイトルが付いた、対談でした。

印象に残った内容を紹介します。

小さな農家で生まれ9人兄弟、どんな夢を持ってましたか?
1、本を読むのが好きだったから、小説家に。
2、政治家に。
3、阿蘇山の麓の牧場を開く。

夢の実現に何を?
三つ目の夢に向かい、高校卒業後農協へ就職。アメリカの農業研修に一歩踏み出した。
ネプラスカ大学農学部で繁殖生理学を学び。
二つ目の夢、ハーバード大学で政治学を勉強しました。

政治の勉強で何を掴みました?
自民党政治を客観的に評価できました。
経済発展を進めながら農村部に所得の分配をしたことです。
だから、民主化を進めながら、発展と平等を両方とも達成し、安定した国をつくれたことです。

若者へのメッセージは?
1、「参加」してモチベーションをあげることです。
(社会は共同作業で成り立ってます。できる人ができない人を支え、ものを作り上げるのが大切です)
2、優しさです。他者への思いやりです。
(自信のない人ほど、自分勝手です。本当に自信のある人は優しいです。)
3、生きた証を残せ。です。
(継続の力が新しいものを作り上げるのです。)

持論の「期待値を超える」について、教えてください?
私は、最初から東大法学部教授の道を選んだのではない。まず、農協、それから、農業研究生、
ネプラスカ大学、ハーバード大学、筑波大学、そして東大といくつかの舞台を経験した。

はじめの舞台を観ている人は5,6人。まず、その人たちの期待値を超えることが重要。
それを超えると、次の舞台が用意されている。それが自分の夢につながる。

いかに期待を裏切らないかが一番大切。その繰り返し。
ただ問題は期待がだんだん高まってくると、それは苦しみになる。

そして、最後は、誰かとの競争ではなく、自分との戦いになる。
それが「期待値を超える」ことです。

この対談の進行役は、機関誌の発行元の会長兼社長で故郷をこよなく愛し、
地域のためを一義に考え、行動される、私の尊敬する稀代なる経営者です。

そして、そのお相手は、そうです。この日曜日。
二つ目の夢、「政治家」の道に踏み出し、熊本県知事に当選した「蒲島郁夫(61)氏」です。

彼が、この疲弊した地方。その地方の首長として、いかなる、「生きた証」を残すのか?
地域経済の活性化を標榜する、同じ団塊世代の私としては、興味が尽きない。
                                   Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月26日 05:47 | コメント (0)


2008年03月25日

世の中混乱すると言うけれど。

このまま、政治が膠着を続けるなら、31日で、道路特定財源の暫定税率の期限が切れる。
その結果、ガソリン代が25円値下げになる。

昨今の原油高で、ガソリンの価格が165円を付けている。
公共交通網が整備されている都会の人にとっては、深刻ではないかもしれないが?

地方では、次々にローカル線が廃止され、路線バスは民営化、その運行数も減らされ、
手足をもがれる状態では、自家用自動車は命綱。

そのガソリン税が減税されるのは、大歓迎だ。
地方で細々と生きている庶民にとって、この減税は、延命装置だ。

このままでは、買い控えが起こり、4月1日には、ガソリンスタンドに長蛇の列。
国中が大混乱するって言う人がいるが?本当ですかねぇ?

値下がりしたものを慌てて買う人はいませんよ。
品薄で、値上がりするなら、駆け込み買いする人はいるでしょうが。

首長達が、既に道路特定財源は予算化されている。それを、廃止すれば地方自治体は混乱する。
混乱すれば、住民サービスが低下する。って言う。本当ですかねぇ?

民間企業では、お客様の都合で、契約が変更になることも、契約代金が不良債権化することもある。
一般家庭でも、予期せぬ冠婚葬祭や突発的な事故で、特別な支出を強要されることはよく起こる。

それでも、企業はリストラで。庶民は切り詰めて、乗り越え、生きていく。
なぜ、行政には、それができないのか?住民サービス低下って、脅しにビビッてはいけない。

予定の税収が入らなければ、もう一度、予算を見直せばよい。そして、議会を開けばよい。
安易に起債を発行、借金で賄うことしか、考えてないから、バタバタ大騒ぎするんだ。

為政者のプロパガンダに惑わされてはいけない。

暫定税率の「暫定」とは、しばし、しばらくの意味である。
(歌舞伎の暫(しばらく)はもめ事の仲裁に入る場面で「しばらく」「しばたく」と主役が登場する)

しばし、とは、歌舞伎はその程度だが?政治行政用語ではどの程度の時間を「暫」と言うのか?
50年?100年?すくなくとも、34年間は「暫」だったが?馬鹿馬鹿しい。

道路特定財源の暫定税率を廃止しても混乱は起きない。

むしろ、既得権益を守ろうとする古い体質が白日の下に晒され、
足らないモノはどのように補うのか。といった、構造改革が進む。

この国の混乱の原因は、本質、本道を踏み外した、例外や特別、特殊、暫定といった、
中途半端な付帯事項が溢れているからだ。

ここは一番。暫定税率を廃止して、決着をつけようではないか。
少なくとも。ガソリン値下げの恩恵を受ける庶民は、混乱に怯むことなどない。
            Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月25日 05:59 | コメント (0)


見落とす

2008年03月24日

校正ミスは許されぬ。

朝、ゴルフ場に向う道。その道、
午後の帰りには、「さくら」咲いてる。

あれー。こんなところにも、あんなところにも。
通いなれた道なのに、と、意外な場所の「さくら」の存在にびっくりする。

さくら咲き、木々は芽吹く。昨日ほど、ほんの数時間に、季節の躍動を感じた日はない。
季節の変わり目、なんとなく、いつの間にか、移ろうのだが。こんな劇的な変化は始めてだ。

私はこんな劇的な瞬間が毎年起こるのに、それを60年も見落した、不注意者なのか?
それとも、地球の温暖化で急激に気温が上昇した、異常気象の前兆なのか?

FC岐阜がホーム初勝利。あんなところの桜を見落としてたように、
意外な強さを見落としているかもしれない。異常気象か?来期のJ1も夢でないかも?

ゴルフプレーの最中。友に、どうだい戦況は?と。
「6時からです。ゆっくりしてます」??????と。

J2、開幕からの三試合。開始時間は午後だったじゃないか?今日はナイター?
シマッタ。それなら、夜の予定を入れなければ、観戦できたのに。

改めて、地元紙の朝刊全面広告を開いてみれば
、小さな文字で18:00キックオフ。と書いてある。

広告屋が、広告の活字を見落としてどうする。校正ミスなら大問題、情けない。
私は、やっぱり、さくらの開花の一瞬を60年間も見落としてきた不注意者だ。

それにしても、観客数が2000人とは、広告効果が問われるが?
私以外にも、開始時間を見落とした不注意者が多い岐阜のサポーターだ。
                               Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月24日 05:42 | コメント (0)


この味は如何ですか?

2008年03月23日

岐阜の若人さんコメントありがとうございます。
早速に「丸信」を尋ねて頂き、恐縮です。

岐阜に生まれ、岐阜に育てられた一人として、
岐阜を愛し、理解下さる人に、心より感謝です。

ご要望ですから、「丸信」とは一味違う、店を紹介します。
中華料理店です。高校生の頃。たむろした店です。

ですから、40数年前からの馴染みです。
ここは当時から、今も、親父さんが厨房にでんと構えてます。

この店のメインは、チャーハンです。ラーメンと一緒に注文するのがお薦めです。
しかし、量が多くなりますので、そんなには?と言う方には、絶品のたまごスープと。

チャーハンは、ベタベタしてなくて、パサパサした感じ。それが、歯ごたえが合って宜しい。
炒り卵が特徴、それがなんとも香ばしい。

で、ラーメンは、塩味の薄味。具は、溢れんばかりのもやし。チャーシューではなく、豚肉のこま切れ。
これを、軽く炒めて、細目の麺に乗せて。胡椒は降りかけて出てきます。

行儀のほどは、ご容赦頂き、二品の古典的な食べ方を。
右手でラーメンのための箸。左手でチャーハンのスプーンを持ち、交互に食べる。

時々左手のスプーンでラーメンのスープを啜る。
チャーハンがバサバサした感じなので、スプーンで上手くすくえない場合は、箸で補助する。
これが、チャーハン&ラーメンを美味しく頂く極意です。

中華料理店です。夕食なら、
それに、ホイコーローと餃子とビールを合せれば、大宴会モードです。

親父曰く「いまでも、あんた達の同級生がちょくちょく来るよ。注文も食べ方も同じ、笑っちゃうよ。」
「ついつい、ここにくれば、このスタイル。青春に戻るんだよな。」と頷く私。

ホイコーローの「手で千切った」キャベツ。小ぶりだが「独特の味付け」の餃子に付いても、
食べ方の蘊蓄を述べたいのですが、客席は厨房を囲んでます。

親父の前に座り、焼ける音、炒める音、その手さばきを、ちらちらと眺め、聞きながら、
食べ方を尋ねるのも一考か?たぶん、そっけないと思うが。

この店も今年で46年。親父の横で、一緒に腕を奮っているのが、女将さんによく似た子息。
後継者の心配も、味の心配も、なさそうだ。

どうぞ、岐阜の味をお楽しみ下さい。
                     Goto

「あ〜。いけねぇー。店の名前と場所を伝えなきゃ」

店名は「桔梗園」。
場所は、岐阜市長良北町交差点を東に。最初の信号を越して次の交差点を南へ50mほどにあります。
最近、玄関を新装、きれいなお店です。駐車場は隣にあり。

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月23日 05:55 | コメント (0)


水ぬるむ

2008年03月22日

青春の想い。

寒波が襲来、手足が縮む。
気持ちも萎える。寒いのは嫌ですね。

このところの雨と20度近くまでの気温上昇で。
あたりの樹木までが、息を吹き返したよう。

まだ、桜は咲いてませんが、冬から一足飛び。
初夏の気配です。

あなたは、どんな時、春を感じますか?
私は、中学校の前に住んでます。

この時期、学校はピーンと張り詰めます。
高校受験です。その空気に触れますと、「春が来たな」。と感じます。

高校受験にトラウマがあるのか?心に何か引っかかるものがあるのか?
青春時代のニキビ顔とともに「春」が来たと妙に思うんです。自分でも不思議です。

春といった季節だけでなく、日々の折々に、そんな、感じや感触を味わうこと、ありませんか?

グランドで、無心で野球に打ち込む中学生の姿。
彼らに降り注ぐ、暖かな春の日差しが、何時の日か。

彼らの「感じる春」の爽やかないシーンになればと、願いつつ。
ぬるんだ水で顔を洗い。「さー、冬とはおさらばだ」
                  Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月22日 06:22 | コメント (0)


どこか違う?

2008年03月21日

高齢読者を理解してますか。

毎日新聞が「J字」と称して、活字を大きくした。
レイアウトを工夫、文章を簡潔にして情報量を維持するという。

新聞各社、編集面では、「論陣」を張り、スクープを競い合っているが、
経営面では、護送船団そのもの。

毎日に続き、読売が、朝日が、日経が、
今月末には、中日も地元紙も。文字を拡大する。

理由は、購読部数減少の歯止め。高齢社会への対応で読み易くするためだと?

新聞社は、販売価格でも、一社が値上げすると、右に倣え。
どこかが、業務のアウトソーシングすれば、間髪入れず。

編集の独創性と経営の独自性は、
その役割と使命から、プライドだと思うんですが。腰が定まってませんね。

昨今の経済情勢、他メディア化など、経営状況は厳しいものがありますから、
そうは、行かないんでしょうね。

でも、文字を大きくする共同歩調はどうかと思います。

活字を大きくすれば、読者離れが止まるんでしょうか?
はなはだ、疑問です。
活字を読む気力が萎えてきた高齢者が、文字が大きくなれば読むんでしょうか?

テレビの朝のワイド番組で、その日の特徴的な新聞記事が紹介されます。
それを、見れば、事足れり。が高齢者の購読離れの原因じゃないですか。

失礼な物言いですが、
活字を大きくすれば、高齢者は新聞を読み続けてくれると、考える。

その発想は高齢読者に「無理解」です。
なぜなら、新聞を必要とする人は、文字が大きかろうが、
小さかろうが、読むってことが、分かってないからです。

もう少し、整理しますと、新聞を読む人は、読むんです。
読まない人は、読まないんです。

文字が大きかろうが、小さかろうが関係ないんです。
高齢であろうが、若者であろうが、関係ないんです。

それが、分かってない。毎日新聞の右に倣えが私には理解できません。
大きくする理由がわかりません。

新聞離れ、活字離れが著しいこの時期に、新聞が取り組まなければならないのは、
本来の使命である、質の高い情報の提供であり、圧倒的な情報量の掲載だと思います。

質の高いとは、社説であり、論壇であり、ニュース解説であり、新聞社の主張です。
情報量とは、紙面に溢れんばかりの、社会の出来事です。

新聞を読んでいる人にとって、必要なモノは、その二つ。
それが、新聞の役割であり、公共性であり、価値だと思います。

にも、拘らず、活字を大きくする。大きくすれば、紙面を増やさない限り、
情報量が減るのは当たり前だと思いますが。このコスト高の折、増ページできますか?

それを、レイアウトだとか?簡潔な文章とか?で確保するとおっしゃる。
どこか、違うと思うんですが。如何でしょうか?

文字を大きくすることは、新聞の命である情報量を減らすんですから
価値が下がる。購読料値下げをお願いします。ってことになります。

最初に、文字を大きくした毎日新聞が、この四月から
紙面内容を大幅に刷新するという。

私は、それが、正しいと思います。最初に紙面内容を刷新して、情報の質を変える。
その結果、文字も大きくするのが、順序ではないでしょうか。

しかし、他の新聞も活字を大きくするのと同様に、
また、毎日に右に倣えで、紙面内容を刷新するって、言うんでしょうね。

メディアの独自性、独創性に期待するのは?
この国を構造改革するよりも難しいかも知れませんね。
                           Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月21日 07:37 | コメント (0)


懐かしい味

2008年03月20日

忘れられない味があります。

一昨日、久しぶりに、子供の頃、よく通った食堂
岐阜市伊奈波通りにある「丸信」で昼食を取った。

「中華そば」(ラーメン)と、大好物の「わんたん」
二杯を平らげた。美味しかったです。

店は、昔と同じ、昔とは四歳のころ、半世紀以上何も変わっていない。
家屋は古くなり軋んでいるのは仕方ないが、店構えは同じ。

椅子もテーブルも大丈夫かいなって、思うほど。ガタガタ。
壁の鏡も、ポスターも、半世紀前のモノ。までは、古くはないが、四半世紀は変わってないと見受ける。

味も昔と同じ。「中華そば」は鰹だしで濃いめの醤油味。麺はちりちり。それに、
薄いチャーシューが四枚。紅白の透けるようなかまぼこが二枚。それに刻みネギ。これも同じ。

懐かしい。この隅の席で、母親に叱られながら、プラスチックのれんげで「わんたん」を
「ふーふー」と冷やして、口に入れてもらったのが過る。

一番遠い記憶では、わんたんも中華そばも40円だった。
先代の小柄な親父が、下駄に足袋で、岡持を下げて、近所に出前する姿が浮ぶ。

あの頃、仕事を憶え立ての現親父も、とうに、古希を越えている。
古びた値札は中華そば390円。わんたんも同じ。

あのころからすれば、十倍だが。390円に味と同じこだわりを感じる。
店には、後継者の姿はない。

街角の小さな食堂が、また、一つ消える日は遠くない。寂しいなー
せいぜい、時間を見つけ、若い人を誘い、私の懐かしい味を試してもらおう。
                          Goto
追伸
味は好みです。「丸信」の昔ながらの「中華そば」が誰の口にも合うとは思いませんが。
ラーメン好きの方には、是非、足を運んで見てください。感動しますから。

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月20日 05:33 | コメント (2)


伝授

2008年03月19日

金融有事。殺伐としてますが。

日経新聞が紙面の半分をカラー化する。と、
発表してから、20日以上経過しましたが、目だった変化がない。

どうなっているのか?と、思ってましたら?
北京オリンピックに向けて、徐々に、カラーページを増やしていくんだそうです。

しかし、昨日の朝刊は44頁立てで10頁がカラー。8頁が全面カラー広告。
とても、きれいで、工夫を凝らした素晴らしい内容の連続でした。

そう感じませんでしたか?「なに!」「日経新聞を読んでないって!!」
「それは残念です。」「ぜひ日経のカラー広告、その芸術性を確かめてください」

「これが新聞広告かと、びっくりされますから。」

因みに。日経で広告を楽しむ方法を伝授します。
まず、机の上に、最終面を上にして、置いてください。そして、椅子に座らないで、立ったまま。

左手で、静かに、一枚めくります。机の上は紙面で溢れます。そこには、カラーの広告はありません。
落胆しないで。心を落ち着け、ゆっくりと(左手ですよ)もう一枚めくります。

見開いた紙面の右面、凄いでしょう。きれいでしょう。
これが、日経の誇るカラー全面広告の技術です。

慌てないで。その広告色合いを楽しみ、メインコピーを読んでください。
なるほど、と、カラーの意味、スポンサーの意図が分かります。

読んだら、次を(左手で左にですよ)めくってください。ほら、まったく色合いの違う全面広告。
さー。それも、カラー写真を確かめて下さい。勿論。コピーも。味わい深いでしょ。

ハイ!同じように次をめくって。ほら、右側の紙面カラー広告でしょう。
次、ほら、またカラー広告。

次、左手ですよ。あれー。カラーじゃない。ハイ。飛ばして、次をめくって下さい。
ほら、きれいでしょう。スポンサー名を見て。その全体の色が、その企業のコーポレートカラーです。

お分かりですね。全面カラー広告は、座ったまま、近視眼的に見てはいけません。
立ったままで、図柄(デザイン)構成(レイアウト)文章(コピー)を上から楽しむんです。

最終面から順番にめくって行くんです。そうすれば、右手面にカラー広告が現れ、
新聞とは違う、グラフイック広告の世界が開けます。素敵ですよ。目の肥やしになります。

三月は、カラー全面広告が8頁ですが、四月には12頁(多分)。徐々に増やして、
八月には20頁になるそうです。(その際には、広告面のみならず、記事面もカラーになるようです)

世の中は、金融有事。
日経紙面も、その殆どが、株価の下落、ドル安、円高と、未曾有の国際恐慌に沈んでます。

せめて、伝授を試して、きれいなカラー広告を楽しんで欲しいものです。
それで、有事を一時でも忘れ、心を和ませて頂けるなら、広告屋冥利に尽きるんですが。
                                  Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月19日 06:23 | コメント (0)


不動心

2008年03月18日

下手は下手なりに。

欲張りは良くない。
この謙虚さが良い。

若い頃と違い量より質の練習に努める。
この順応性が良い。

20歳前後の人にやられっぱなしはどうかなって思う。
控えめながら、筋が一本通っているのが良い。

日曜、女子ゴルフ開幕二戦目で優勝の不動さん。

股関節の次は、手首、その次は、両肩。
あちらことらと、痛いところばかり。歳は取りたくないものだ。

そのせいか?大好きなゴルフも、飛距離は落ちる。し。
乗らない。寄らない。入らない。の三無い状態。

これでは、折角のプレーも、ストレスが溜まり、苦痛になる。
ままにならないスポーツに、イライラを募らすようでは、修行が足らぬ。

クラブのすごい進化に、簡単なクラブに変えているうちに、
パットが入らなくなり、昔愛用のパターに戻した。欲張りはよくない。

一打一打考えて打つ。
ケガ防止のため、身体の手入れに気を配る。己を知り量より質の練習を心がける。

相手が若かろうが、つわものであろうが、
日本ツアー、日本選手が頑張らないといけない。

己を信じ、不動心を失わない。
そんな、女王、31歳の不動裕理さん。

歳は彼女の倍だが、下手は下手なりに。極める道は違えども。
不動さんの不動心に学びたいものだ。
                   Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月18日 06:07 | コメント (0)


節目

2008年03月17日

幸せな人生のために。

少し減りましたが
三月は道路工事がやたらに多い月です。

そうです。一年の節目、年度末だからです。

試験日前の一夜漬け。
プレゼン前の徹夜。と同じ。

もっと早くから準備をしておけば、こんなにバタバタしなくても良いのに。
と、押し詰まってから、いつも思うのですが。

周到に用意、余裕を持って、ことに当たれる人を、
何時もうらやましく思うのは、凡人の悲しいさがでしょうか。

でも、常に予算をたて、計画的に仕事をこなす、日本で一番優秀なお上ですら、
年度末に積み残した仕事を急ぐのですから。

余裕を持って仕事のできる人は特異な人なんでしょうか。

切羽詰まらなければ、動かないのは、めまぐるしく変わる季節のせいか?
あるいは、節目、節目にきちっと、始末する日本人の習性なのか?

と、理由を考えて見るのは逃げ口上ですよね。

年度初めには、今年こそは、特異な会社に、特異な人にと、思うんですが、やっぱり、
あれも、これも、きれいに整理して、年度を締めくらねばと、セカセカするんです。

しかし、こんなことでは、いけない。
三月の道路工事ではいけない。
一年間の遣り残したことを、慌ててやる。のではだめだ。情けない。

と反省しつつ。

より良い仕事をするためにも。より幸せな人生を送るためにも。
次年度へのステップ。飛躍のための節目にせねばならない。

と、決意を新たに。
この年度末を乗り切る覚悟です。ハイ!
                          Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月17日 06:06 | コメント (0)


アンテナ

2008年03月16日

人間関係は難しい。

人は何かの行動を起こすとき、前兆を発する。
緊張感を持ってアンテナを張ってれば、大体分かる。

学校で黒板の端に「遅刻、早退、欠席」と記された教室を見かける。
その欄に名前が書かれれば、その生徒に異変が起こったことになる。

会社でも同じ。出社や会議に遅れたり、早退したり、欠席すれば、
生活が乱れているか?やる気が乏しいか?他ごとを考えている。

決められたこと。決めたことが、できない。
あるいは、意識してやらない。のは、

どこかに不満があるのか?皮肉れているのか?
なまかわか?のどちらかだ。

人は一人では生きられない。誰かに助けられ、生かされている。
集団生活する生き物だ。

しかし、不精や天邪鬼は別にして。不平不満がある場合、
積極的に改善、改良してそれを取り除こうと、考えるより、逃避する道を選ぶ方が多い。

そうなると、集団に抵抗を始める。遅刻、早退、欠席。と行動を起こす。
起こされた側がどの程度、それによって迷惑をこうむるのか。影響があるのかは考えない。

そのくせ、反対の立場に立つと、相手をなじる。親が、先生が、上司がそうだ。
子供でも大人でも、みな同じだ。

大切な人が、異変や他ごとを考えていると、アンテナが感じたら。
遠慮は無用。積極的に、その懐に飛び込むことだ。

その勇気、情熱、努力が良い人間関係を生む。
待っていては、何も得られない。

遅刻、早退、欠席。とても分かりやすい、人の判断基準だ。
人間関係は難しいが、新年度が近い。新しい出会いに、良き関係を築きたい。

アンテナを磨いて。日曜の朝に思う。
               Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月16日 06:21 | コメント (0)


春は曙

2008年03月15日

昨日。省略のタイトルで一文を寄せましたが、
おじさんには手の届かない省略があります。

「KY式日本語」って本ご存じですか?
書評では20万部売れてるそうです。

話題に事欠かないよう、読んでみようと思います。

「お前みたいな奴は。貧乏稲荷だ。」「う〜ん?」「鳥居(とりえ)がね〜」
「ドジだなー。それじゃ傘屋の小僧だ。」「う〜ん?」骨折って叱られた」

「そりゃ〜。猿の小便だぜ。」「う〜ん?」「ちと木(気)にかかる」
「この祝言。座敷の塵取りでーぇ。」「う〜ん?」「団扇(内輪)ですます」

落語にでてくる無駄口言葉です。
これなら、江戸情緒もあり、ほんわりしたユーモアー。おじさんにもわかるが。

ND(人間が読めない)。
CB(超微妙)。
3M(マジに無理)。
これが、ネット上で使われるKY言葉。

なにを、どのように省略しようと、勝手だが、
記号ではね〜。面白くもなんともない。さっぱりわからない。

もう少し、お洒落とか、粋とか。季節とか、味わい深い「KY言葉」はないのかね。
とって置き、季節感たっぷりのが紹介されてました。「春はAB」ですって。

AB????。サッパリ分からん。
「春は曙(あけぼの)」のABでっすって。枕草子ですって。

「そんなもの分かるか!!。なにがとって置きだ。馬鹿馬鹿しい」
「だから、DOはKYで嫌だぇ。」「DO?????」「ダサイ親父だよ。」

ネットって、本当に文明かね?

以下SR(省略)         Goto       

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月15日 06:29 | コメント (0)


省略

2008年03月14日

ものぐさになってきたのか?
何かにつけて省略するようになった。

一番情けないのは、新聞の読み方である。
以前は、見出しよりも、リード。リードよりも本文と、こまめに活字を追ったが。

最近は見出しに目をやれば、
世の中のことはだいたい分かるなどとうそぶいている。が。

実は、根気がなくなった。目元が暗くなった。
という、読書体力の衰えを覆い隠せないのだ。

弱ったもんだ。

省略といえば、見出し。その代表は月曜、木曜に掲載される週刊誌の広告。
なんとまー。センセーショナルなことか。でも、見出しでだいたいが分かる。けっこう楽しい。

故宮沢喜一さんの娘さん。「父は芸能、スポーツを始め、世相によく通じておりました。」
「なぜ、そんなことまで、と問いますと、ニタリとして、週刊誌の新聞広告だよ」と。

あの堅物そうな。宮沢さんも新聞広告で世相を感じていたのかと思うと、
なんとなく、うれしい気がする。

週刊誌の見出しはチョット行き過ぎだが。
新聞の見出しは、整理記者、校閲担当の腕の見せどころ。

さまざまな「美学」があるが。
新聞の魅力のひとつは、見出し。「十文字に込める省略の美学」だと思う。

新聞を読まない人が増えてるが。
せめて、省略に省略を重ねた見出しぐらいは目を通し、世相を感じ取って欲しいもの。

私のものぐさも相当なモノ。それを「省略の美学」とうそぶき、
家人に嫌われている。弱ったもんだ。
                   Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月14日 06:57 | コメント (0)


重症

2008年03月13日

季節の変わり目です。
長く伏せて居た人が亡くなるのもこんな時期です。

寒暖の差がそうさせるのか?
前の季節(冬)が彼方に連れていくのか?

自然は若芽、陽光と輝き始めるのに。
人は巣立ち、次のステージへと旅立つ季節なのに。

世の習いとは申せ、寂しい限りです。

そんな折。悲しい記事を読みました。

モノを買えば対価を払います。サービスを受ければ報酬を払います。
人間社会の最低のルールです。怠れば、それは犯罪です。

この国に生れ、生かされている限りは、それ相応の税負担をします。
国民の義務です。義務を果たすから、社会インフラの恩恵を受け、安心して暮らせるのです。

岐阜の県立3病院の治療費未収金が昨年度末で1億6325万円にのぼるそうです。
1999年度6900万。2004年度で3倍に膨らみ。時効が、5年から3年に短縮で損金処理。

病人の治療費未納が後を絶たない。その額は急激に増加するばかり。かなり重症な話です。

民間の医療機関ならば、放置しているだろうか?
普通の企業ならば倒産です。

治療費が払えない社会とは、どんな貧困社会なんでしょうか?
普通なら難民が出る話です。

受けたサービスに対価を払わず、ねこばばが許されて良いのでしょうか?
法治国家ではなく無法国家です。

医療だから。命に係わる問題だから。公的機関だからといって、寛容に見過ごせば、
多分、ねこばば患者は、心の病を併発し、完治しないでしょう。

払えないなら、払えないで、仕方がない。然るべき機関に援助を求め、事後の相談をするべきです。
その勇気さえもないならば。とんでもない重症社会、寂しい限りといわねばなりません。

ご先祖さまになんと、申し開きするんでしょうかね。
                               Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月13日 06:16 | コメント (0)


他人事

2008年03月12日

我が事を客観的に見つめることの出来る人は、
冷静で思慮深く、有能な人だろう。

主体的にしか語れない人は、
直情的で、思慮分別がなく、軽率な人だろう。

では、他人事を客観的に、判断できる人は
やはり、思慮深い人なんだろうか?

主体的にしか見られない人は、
分別のない人何だろうか?

凡人は、我が事であろうが、他人事であろうが、
主体的になるものだと。我が身を振り返り思います。

取分け、仕事となると、熱くなり、
全てが我が事として、主体的に立ち向かいます。

それが、凡人の凡人たる所以であり。
人の機微や社会の表裏に生きる市井の姿です。

世の中には面白い人種がいるものです。
我が事は主体的に。他人事は客観的にと、明確に峻別できる人達です。

その人たちの仕事は、社会の公僕です。
公僕とは、他人事を我が事とする仕事です。

東海財務局長の弁
管内の地場産業も原油高で厳しい状況にあるが?
地場全体で協力体制をつくって、底上げが必要。自治体の支援も必要。

財務局はどういうスタンスで支援に取り組むのか?
地銀、信金は地域経済の支援が使命。金を貸すだけでなくノウハウや起業支援を。と。

地方経済は瀕死の状態なんですが。「ム〜」。
だから、他人事ではなくて、主体的にどう、支援するんですか?と尋ねているんですが?

どこまで、聞いても。何度尋ねても。
我が事じゃない。だから、他人事なんですよね?

国の財布を預かる公僕。他人事を客観的に見ることのできる、
冷静で、思慮深い人なんでしょうね。

この国の病巣を見る思いです。
                     Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月12日 06:26 | コメント (0)


完走

2008年03月11日

日曜の午後は、郷土愛を堪能させてもらいました。

高橋尚子さんのマラソン。
FC岐阜J2初戦。

テレビの前に釘付でした。

高橋さんは岐阜出身。何とか北京へと期待が大きかっただけに、
前半での失速は残念でした。しかし、夢を与えてくれた彼女に心から感謝します。

高橋さんの記者会見の模様をニュースで観て。
「スポンサーの社長にもう少し頑張らせて下さいと、お願いしました。」と。

私はこのコメントに深い意味があると思います。

相撲や野球、ボクシングなど違い、プロ化が進んでいない陸上競技。
選手がその才能を開花させ、成果を上げるには、それを支える支援者が必要です。

スポンサーには、是非、彼女が燃焼するまで、支援を惜しまないで欲しい。
彼女の新たなる夢、チャレンジを応援して欲しい。と願います。

価値がなくなったからと言って、企業の論理で切り捨てる。
すぐにリストラして、スポーツを廃部する。そんな風潮を真似ないで欲しい。

FC岐阜。400名の応援団が岐阜から甲府に乗込んだ。
1対1の引き分け。今西GMは95点と採点。選手の一生懸命な完走ぶりが光りました。

私は広告の仕事に携わっていながら、
FC岐阜の真新しいアウェー用のユニホーム。

その胸にスポンサー名が入っていない。そのことに、
仕事を放棄したようで、胸の痛い思いで観戦してました。

まだ、胸に広告名を入れる価値がない。実力はないかもしれない。

しかし、岐阜の企業に、子供たちに夢を与えるプロサッカーチームを
支援する姿勢が乏しいのが現実です。何とかしなければと思います。

高橋さんのレースはまだ終わってません。
FC岐阜のJステージは始まったばかりです。

高橋さんとFC岐阜の夢を開花させ、完走を見届けるのは、
郷土に生き、郷土に育まれる岐阜人の責務だと思うのですが。
                                    Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月11日 06:38 | コメント (0)


受け入れる

2008年03月10日

人間は身勝手な生き物です。

何かに悩んでいる人。
親身になって相談に乗る。

悲しんでいる人。
同情し慰める。

苦しんでいる人。
必死になって手助けする。

しかし、よく考えてみると
悩みも、悲しみも、苦しみも

その人しか分からない。
その解決は、その人にしかできない。

いくら、周りが躍起になっても、
人は、自分のことしか考えていない。

その身勝手さを受け入れる。
沈着冷静さと、度量が欲しいものです。

追い立てられるような生活の渦中にあって。
                       Goto


             

 

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月10日 05:57 | コメント (0)


もうひとつの顔

2008年03月09日

人には幾つかの顔があります。

ひとつは、精魂込めた生計。仕事の顔。
自分の時間を磨く、プライベートな顔。
家族と接する顔などです。

昨日、社員の結婚式と披露宴に招かれ、参列させていただきました。

同僚の二人が、職場と家庭、二つの顔のハザマで愛をはぐくみ、
ゴールインしたことに心より祝意を表します。

おめでとう。

嫁ぐ娘と腕を組み、好天の長良川畔に設けられたバージンロードを歩く、新婦のおとうさん。
そっと、目頭に手を当てる姿に。一年半前の我が事を思い出し、おもわず胸がジーンと熱く。

クリエイティブ部に所属、最近腕を上げ、充実した仕事に取り組む新郎。
「こんな席でしか、照れていえませんが、とうさん、かあさんのお陰でここまでこれました」と。

「かあさん、とうさんの子供でよかった。弟妹に恵まれ。ありがとう」と。
清楚で真摯な仕事ぷりの新婦が綴ったお礼の一文。

こんな、家族思いの素晴らしい若者達を預かり、仕事の顔を共有できる。
こんな幸せなことはない。

事業冥利に尽きます。
事業は雇用なんだと、改めて、縁に感謝です。

「二人で決め、二人が企画した、思いのままの本日です。不行き届きあったかと存じますが、
慶事にてご容赦願います」と控えめに謝辞を述べられた、新郎のおとうさん。

そんなことはありませんよ。心のこもった、温もりいっぱいの披露でした。

二人の幸せを心から祈り。

頑張って、頑張ってここまで育てられた、
ご両親のもうひとつの顔に乾杯です。
                       Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月09日 06:17 | コメント (0)


官尊民卑

2008年03月08日

過ちを改めるに、憚る事なかれ

傷口に塩をぬる。
溺れている犬を棒で叩く。

いずれも、酷いことをする例えです。

ドアに手が掛かっているのを知らず、閉める。
歩道に人が歩いているのに気付かず、車道の水溜りを突っ走る。

いずれも注意散漫が原因で人を不幸にする例えです。

転ぶ子供を横目で見やり、通り過ぎる。
目の前に高齢者が立っているのに、車中で座席を譲らず、本を読む。

いずれも、知ってて知らんプリする例です。

では、取れるものは、いかなる理由をつけてでも取り続けるのは?
保身が目的で、規制を強化して、社会を不況に陥れるのは?

何んていうんでしょう。

チェックする人間も用意せず、チェック機能を強化する国交省。
建築基準法の改悪は、未曾有の官製不況。地方経済は溺れている。

岐阜県は、3月議会に、そのチェック費用を増額する「県手数料徴収条例」なる議案を提出した。
注意散漫なのか?知ってて知らんプリなのか?

保身のためには、民から搾り取れるものは取る。
傷口に塩をぬる行為。これを、官尊民卑思想って言うんです。

誰が?こんな案を?この時期に?
勿論、国交省から岐阜県にお越しいただいてる部署からです。

で、それはおかしいと気付き。
提案後にも拘らず。本会議冒頭、知事が増額案を撤回した。

「過ちを改めるに、憚る事なかれ」
この人心を知る決断や、良し。

次は、職員の官尊民卑思想を一掃して欲しいものだ。
                        藁をも掴む思いで。
                               Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月08日 06:45 | コメント (0)


鵜呑み

2008年03月07日

驚いてはいけません。

岐阜市の名物は、長良川の鵜飼。
毎年、5月11日から10月15日まで、夏場の五ヶ月間。
漁は満月を除いて毎夜催されます。

かがり火が燃え、鵜匠が操る12羽の鵜。
水面に浮かんでは消え、消えては浮かび、魚を追う。

魚をくわえて、顔を出しますと、屋形船から、観光客が喝采します。
その鵜を、舟に引き上げ、飲み込んだ魚を吐き出させ、また、川に放ちます。

鵜の習性を巧みに活かした古来からの漁法。
岐阜市では1300年余の歴史を有しています。

その鵜飼見物の観光客。
昭和40年代のピークには30万人が訪れ、岐阜市の観光産業を支えました。

現在は、関係者の努力にもかかわらず、12万人程度に落ちこんでいます。
県下一の観光地、飛騨高山の435万人(高山市調べ)に比べますと、観光資源とは呼べません。

岐阜県は人口210万、県内の80%近くが森林です。
岐阜市を中心とした、平野部に人口の70%以上が暮らしています。

昨日の地元新聞です。
07年一年間、県内を訪れた観光客の数が発表(岐阜県調べ)、掲載されました。

その数何万人だと思いますか?
私の持論です。地方が活性化するには、観光産業の振興しかない。

岐阜県は、観光客の誘致に力を入れています。
でも、私の知る限りでは、飛騨一円以外の観光地は閑古鳥です。

さて、どれだけの観光客が訪れたと発表されたでしょう。
結構、もったいぶってます。

驚いてはいけません。
日本の人口の半分、5268万人だそうです。

昨年一年間で岐阜県に5千万人以上の観光客が訪れたんだそうです。
あの、京都でも約4500万人(04年)と言われているのに。

紙面をよく読みますと、10月から12月まで、県が実施したキャンペーンの成果で、
1374万人が訪れたと。山また山の岐阜、どこから来て、どこの地を訪ねたんでしょうね?

皮肉を言うつもりはありませんが。

まー。お役所のおやりになる計算。
庶民の頭では到底、理解できないのは致し方ない。

もしかすると、観光客の概念が違うのかもしれません。
新幹線で岐阜羽島駅を通過した人も、岐阜を訪れた観光客なんでしょうかね〜。

こんな数字を、鵜呑みにしますと、
折角捕らえた魚を吐き出す鵜のような、ぬか喜びになります。

行政発表に何の疑いも持たない。
新聞記者も鵜匠に操られた、鵜なんでしょかね。
                   Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月07日 06:15 | コメント (2)


東風

2008年03月06日

春一番でしょうか?
昨日は東の風が強く、黄砂もどこへやら、澄み渡った良い天気でした。

風に誘われたのか?隣地の梅林に鶯が二羽、くんずほぐれつ、仲良く飛び回ってました。
まだ、初飛来から、二週間ほどにも拘らず。

恋のお陰か?あのホーホキョキョキョキョと上手く鳴くこともできなかった若鳥の鶯君が。ホーホケキョと。
努力すれば、上達は早いもの、恋が実るかなと、苦笑しながら、心地良く、春を聴いてます。

たかが、鶯の鳴き声ですが、注意深く聴きますと、
時の流れや、自然の営みまでも、分かる気がします。

人の話を聴く場合も同じです。

還暦近くなりますと、歳のせいでしょう。
話を理解しようと聴く人と。ただ、漫然と聴いている人が分かります。

人の話を聴くことができる人は、自分を高めることができる人。
人の情報や考えを真摯に受け止め、幸せを引き寄せることができます。

人の話を聴く能力のない人(漫然と聞く人)は進歩も成長もない人です。
とくに、自分の意見や考えに固執する人は始末に負えません。寂しい限りです。

忙しい世の中です。人の話に耳を傾ける。周囲の音をじっくり聴く。
そんな時間は、意識しないとなかなか持てないものです。

東風は万物をうごめかせます。
すこし、心を落ち着けて。

春の音や人の話に耳を澄まし、鶯君のように、幸せを掴みたいものです。
                                      Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月06日 06:14 | コメント (0)


梅林と黄砂

2008年03月05日

一輪の梅

我社は岐阜市の東部に位置します。
北は金華山麓。頂上に岐阜城がでんと構えてます。

南は、車で10分も走れば、木曽川。岐阜と愛知の県境。
西には市街地。東は山です。

辺りは、校区名を梅林といい、何処かしこに梅の林が散在、のどかな地区です。
この季節、梅のほのかな香りに春の訪れを感じさせてくれます。

この二、三日、中国からの黄砂。春霞などという情緒ある風情は帳消し。
梅の可憐な花さえも、汚すようです。

梅といえば、梅干し。
健康によろしい。ということで、83歳の母が毎朝「一粒」勧めます。
「酸っぱい。」ですが、親の忠告。ありがたく頂戴致します。

それが、今週に入ってから頂く梅干しはとても、美味しいんです。
どこが?なにが?と言われても、表現が難しいんですが、ふっくらとした味わいなんです。

梅干しのブランドは紀州が相場ですが、その梅干しは、福井県三方五湖特産の「福井梅」です。
湖畔周辺で育つ「紅映」(べにさし)という品種で、種が小さく皮が薄いのが特徴。

三方五湖には、江戸時代から、秘伝の梅干しつくりがあるそうです。それがこれです。
(JA三方五湖「梅の里会館にて販売・0120−11−7668)

梅には百花に先駆けて咲く、寒梅があるそうですが、
寒風吹きすさぶ日本海の風雪に耐えて咲く「紅映」の梅林。

その味を頂き、元気もりもり。黄砂なんぞに負けてたまるか。
と、一輪の梅を、自室に活けてみました。
                           Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月05日 06:28 | コメント (0)


責任

2008年03月04日

「こと」は難しい問題です。

漁船と軍艦の衝突事故の責任問題。

責任には、二つの意味があります。混同するとややこしい。
一つは、責任を果たす。組織が円滑に業務を遂行することです。
(これが一番大切な責任です)

もう一つは、責任を取る。人間のやること、完璧はありません。
事故やトラブルが発生する。それを迅速に処理する。これが責任を取ることです。

防衛省は、特殊な組織です。半年に満たない政治家である大臣の首を撥ねて、
責任を果たす。責任を取らす。とするのは、間違いです。

組織の長が責任を負うなら、自衛隊の最高責任者は、総理大臣です。
国民を守る自衛隊が国民の命を奪ったのですから、最高責任者が責任を負うべきです。

我社でも、事故やトラブルが起こります。
その責任は、全て、私にあります。弁解の余地はありません。

事後の処理を間違えますと、信用を失い倒産です。
責任が果たせなかった結果の事故。処理は迅速に対処し、被害、迷惑を最小限に収める。
それが、責任の取り方です。

その被害や迷惑を、対象者が納得できない、理解できない場合。
改善の方途が見つからない場合。長たる者、自ら首を差し出すべきです。

それが、長たる者の心構えであり、器量です。

野党やメディアは、防衛相の事故処理を不満として、辞任を要求していますが、
まだ、弛緩した防衛省の在り方に対処もしていない。責任を取っていない。

大臣の首をすげ替えるだけで、「こと」を解決するには、
「こと」国防。「こと」人命。あまりにも、「こと」は重大です。

主権在民。国の最高責任者は国民。
国民の器量、国民の責任の度合いも注視してみたいものです。
                         Goto

投稿者: 後藤 日時: 2008年03月04日 06:11 | コメント (0)


緊張感

2008年03月03日

軍艦と漁船が衝突。
お二人が不明、悲惨な事故です。

軽々な発言は控えなければなりませんが、
事故の背景を少し、考えてみたいと思います。

まず、事故の原因ですが、
自衛隊は軍隊です。軍隊は戦争集団です。
日本の軍隊は、不思議で、特殊な組織です。戦争してはいけないのです。

そんな、軍隊を擁している国は世界にありません。
ないことが、良いこと。という考え方もあるようですが、それは、詭弁です。

戦闘集団が戦ってはいけないのですから、そこに、緊張感は生まれません。
緊張感がない組織は、弛緩します。

だから、事務次官が平気でゴルフ接待を受ける。
綱紀が乱れるのは当然です。事故も起こります。

自衛隊を緊張感のない組織、集団に追いやったまま、
悪戯に設備投資を重ね、見せかけの軍隊として、何十年も放置してきた。

その付けが、この事故の原因だと思います。

自衛隊の改革が論議されるでしょうが
緊張感のない組織、緊張感のない人生。

その行き着くところは何処か?
我が身とダブらせてみたいと思います。
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投稿者: 後藤 日時: 2008年03月03日 06:49 | コメント (0)


憂さ晴らし

2008年03月02日

難しい研究もあるね。

酒を飲まない。殆ど飲まない。
20代男性34,4%、30代28,6%だそうです。(若者意識調査・日経リサーチ)

飲まない理由。「酒に弱い」「お金がもったいない」(毎日新聞夕刊から)

何時の時代も、酒も飲ます、付き合いの悪い「シラー」とした、奴はいるが、
若者の三人に一人は、酒を飲まないとは驚きだ!

飲んで。飲んで、飲まれて飲んで、飲んで、飲みつぶれて、眠る〜。
河島英五の「酒と泪と男と女」に酔っているおじさんとしては、なんとも寂しい話です。

そんな若者の悩みは、人間関係の煩わしさと、ストレスだと言う。

おじさんに言わせりゃ。人間関係を上手くやるには、酒飲んで、ハメ外し、自分をさらけだす。
ストレス解消するには、酔っ払って、もろもろ、忘れるって、方法が手っ取り早いんだが。

時代が違うんだろうね?

「ちょっと。おじさん。こんな、研究結果、知ってますか?」「なに・・?」

東大の薬学部(薬品作用学)が、ラットを使った実験で、
ラットに恐怖を与え、アルコールを飲ませると、「恐怖記憶」を直ぐに思い出すんだそうです。

「それで??」
お酒を飲んで、ストレス解消って、嘘っぽいってことですよ。

そうかな?それって、ラットなんだろ。ラットもラット関係で悩んでいるのかね?
難しい研究もあるもんだね。

ねずみ歳のおじさんにゃ、酒飲めば、憂さは晴れるがね?
一杯飲んで考えてみるか。
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投稿者: 後藤 日時: 2008年03月02日 05:56 | コメント (0)


ゴミと業績

2008年03月01日

岐阜県下有数の観光地は、飛騨高山です。
昨年、434万人が訪れ、約13万人は外国からのお客様です。

その高山市が「古い町並み」での、空き缶などのポイ捨てや
路上喫煙を禁止する条例を制定、この四月からスタートする。という。

違反者には市職員が口頭と書面で注意、それでもやめない場合、
1000円を徴収する。(罰則は一年間を周知期間として来年から適用される)

先日、経済学とは、何かという、難しい話を聞きました。

殆ど、居眠り状態でしたが、経済学とは、社会情熱。
「みすぼらしい街の汚さと、萎びた生活の侘びしさに憤ること」との講師の言葉に、目を覚ましました。

そうか、経済とは、街をきれいにすることか?と、理解。

地方経済を元気にするには、地場産業を振興するか。
それとも、自然や歴史を活用、観光資源を産業化するしかない、と、言われています。

高山市のポイ捨て禁止条例。街の美化の一環。
観光産業を活性する経済の基本に合致しています。

なるほど、1000円の罰金は、意味がある。
???。そうかな〜。

観光客がタバコをポイ捨て、市職員が、「罰金です」とやったら。怒るよね。
「ゴミが落ちてる、みすばらしい街の汚さ」を目にしたら、二度と来ないよね。

「罰則条例」もいいですが。その前に、街の経済が観光事業で成立っていることを、
認識すれば、「ポイ捨て」よりも「チョイ拾い」。

ゴミを拾って、「街がきれいになり」観光事業が賑わい。経済が活性する。
そんな、愉快で、簡単なことはない。

そうか。我社のゴミを「セッセと拾えば」、業績も上がるってことだね??
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投稿者: 後藤 日時: 2008年03月01日 06:21 | コメント (0)