2009年06月

ライバル

2009年06月30日

新聞の役割って、結構重いんですよ。

世の中には、ひとりで努力して、道を切り拓くことのできる強い人もいますが、
大概の人は、弱いもので、誰かの助けを借りて、頑張れるものです。

助けにも色々あり、ライバルもりっぱな助け合いです。

この話題、以前にも書いたかもしれない。ダブったらお許しを。
普通、新聞で全国紙といえば、朝日、毎日、読売、産経をさします。

しかし、全国紙というからには、再販制度(販売料金の一律が認められている)で守られているのですから、北海道から沖縄まで、くまなく、配達されなければ全国紙とはいえない筈です。

それが、800万部(公称)発行の朝日も、1000万部(公称)の読売も、沖縄県では、発行されていません。日経だけは、琉球新報の輪転機でOEM(賃刷)しています。(産経と毎日は朝夕刊発行していない)

ですから、沖縄の人は、新聞といえば、沖縄タイムスと琉球新報のローカル二紙をさします。
この二紙が犬猿の仲で、取材合戦。販売戦争。広告争奪。事業競争とことごとく対立。

その結果、ローカル色豊かな記事や、きめ細かな広告で紙面が飾られ、沖縄の家庭では、どちらかの新聞を購読しなければ日常生活に支障をきたすとも言われています。

沖縄県は、本土と比べ、新聞の未購読世帯一番少ない県です。

購読者を獲得できなければ、全国紙も入り込む余地がありません。ましてや多額の投資をして輪転機を設置することも出来ないわけです。ですから、沖縄で、朝日も読売も印刷されていませんので、読むことが出来ないのです。

沖縄の独特の風土や文化が、守られ、育まれている要因のひとつに、二つの新聞社が、情報提供にしのぎを削る良きライバルであることが貢献しています。

人は一人では生きられない。助け合って生きるしかない。その助け合い方には、ライバルという素敵な関係もあるのだから、世の中は面白いですね。

ただ、沖縄で発行していない新聞を全国紙というのは、沖縄県民に失礼ではないかと思うのですが。
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沖縄のホテルでの新聞売りラック。

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月30日 05:52 | コメント (0)


AKB48

2009年06月29日

改革の一歩は、人心一新から。

新聞社も動き始めたかも知れない。このブログの目的は「新聞を読もう」です。新聞命の私としては、最近の新聞離れを何とかしたい。新聞本来の使命と役割が果たせるようにと願っている。

それには、「百年一日が如く」上から目線で、新聞の権威と正義を振りかざしても、凋落に歯止めは掛からない。固定概念を打ち捨て新しいビジネスモデルに積極的にチャレンジすべきと訴えている。

聞くところによれば、朝日新聞では、全役員が月に一回、新聞経営の在り方を泊まり込みで、研修を続けていると言う。その答えが、まだ見えないが。サラリーマン役員が議論ばかりでは・・・・・・。

読売新聞も、若者にターゲットを当てた新しい試みが見られる。写真をご覧頂きたい。今月から始まった「読売新聞×AKB48」キャンペーンだ。アイドルと創刊135周年記念とのコラボ。

コピーを読むと、新聞の価値を訴え、若者の活字離れを何とかしたいとの意図は分かるが。
果たして思惑通りに行くかどうか?新聞とアイドル?玉石混交の感は免れない。

私は、改革に最も積極的な新聞社は、毎日新聞だと思う。J字といって、活字をジャンボ化したのも。腹切りと云って、紙面を横断する罫線を入れたのも。毎日がタブーを破った。

なぜ、毎日か?と言えば、部数の落ち込みは臨界点を超え、広告の出稿もメガエージェンシーから全国紙扱いされなくなり、地区別に夕刊も廃止している。その危機感が裏打ちとなっているのだろう。

で、その毎日新聞がTSUTAYAや約3200万人(?)の会員を持つCCCと包括的な業務提携を結んだ。若者の新聞離れに歯止めをかけるのが目的なのだろうが。

毎日社長の「我々が届いていない世代へ新たなチャンネルを得られる。今回の提携は、将来の新聞社の在り方を見据えた重要なステップと考えている」とのコメントに、形振り構わぬ・・焦りが見える。

各新聞社が、動き始めたことは素晴らしいことだ。しかし、新しいビジネスモデルを模索することも、斬新な改革をすることも重要だが、新聞の命は、人だと思う。経営者だと思う。

それには、まず、人心一新から始めるべきだということも忘れない方が良い・・・・・。
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6/23読売新聞           6/24読売新聞 

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月29日 06:08 | コメント (0)


沖縄

2009年06月28日

想い出の地で・・・・・・・・。

ちょっぴり嬉しいことがあり、沖縄に来ています。心配された梅雨も明け、照りつける太陽。抜けるような青い空。コバルトに輝く海。なんとも、開放的です。羨ましがらないで下さい。

沖縄にはこんな、想い出があります。23年前の話です。肝臓がん末期の親父殿。結婚以来40年余、一度も夫婦で旅行したことが無い。始末が悪いのは「それが俺の自慢だ」とうそぶくこと。

このまま、死んでは、残された母親が可哀そう。一つぐらい想い出をと一計。私の長女8歳。長男5歳。次男3歳のときです。孫には目が無い親父殿。「じいちゃん夏休み、家族で何処かに連れてって・・」とおねだり。

それが功を奏したのか「主義を曲げるのは、忍びないが、孫のためなら・・・」としぶしぶ。そのたった一度の家族旅行が沖縄でした。本島から石垣島、そして琉球の素朴さを残す竹富島まで・・・・・。

母親のみならず、子供たちにとっても忘れえぬ旅行になりました。それから、一年。親父殿は他界しました。それが、親孝行だったのかどうかは分かりませんが、病床の枕元に、その時の集合写真を置いていましたので、沖縄旅行の想い出を持って逝ったのではと、思っています。

その旅行が心に強く残ったのは「マルコメ味噌」のキャラクター(随分古いですね)のような坊主頭だった長男で、学生時代には、何度も沖縄を訪ねていたようです。

その長男が、じいちゃんとの想い出の地で、今日、伴侶を迎えます。
それで、家族全員、老いた母と孫娘も連れ、沖縄に来ています。

これまで、家族を見守って下さった各位に感謝しつつ。
若い二人が、沖縄のように明るくて、開放的な家庭を築いてくれればと願っています。
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投稿者: 後藤 日時: 2009年06月28日 06:57 | コメント (3)


肉太と骨太

2009年06月27日

「貧すれば鈍す」で骨抜きは、寂しいですね。

私は、右足股関節の手術をしました。大腿骨に頭がセラミック、棒(骨)の部分がチタンの人工骨と骨頭が入っています。四年を経過しましたが、違和感も、支障もなく、現代医学の発達に感謝しています。

ただ、注意していますのは、大腿骨が崩れますと、人工骨を支えれなくなりますので、骨の強化に繋がる食べ物を摂取するよう心がけています。そのお蔭で、歩くことも、走ることも、ゴルフさえ楽しめます。

私が手術をと決めたのは、主治医の「このままでは寝たきりになりますよ」の一言でした。人は歩けなくなると二年で気力を失い。役に立たなくなるそうです。役立たずでは生きていても仕方がないと思い、手術しました。

こんな文章に出会いました。

「なぜ、人は歩くのか。多くの場合歩くのと生きるのは同義だ。歩くとはどこかに向かう過程だから人生に例えられる。人は歩きながら考えたり、祈ったり、涙したりする。目標に到達できるか分らない、途中経過の蓄積が人生なのだろうか。」

人間は歩くから人間なんです。人工骨で補完しても歩けるうちは、人生がある。
歩ければ、私も人間の端くれだということになります。

折角、歩けるようにしてもらったのですから、目標に向かってしっかり歩いて行きたいと思うこの頃です。

政府は01年から「骨太の方針」を毎年発表しています。
当初はこの国のかたちを変えるための「構造改革」を実施するのが方針の目的でした。

それが09年度方針では、まさに「貧すれば鈍す」。経済危機に慄き、国のかたちに関わる制度改革に踏み込んだ部分が姿を消し、国民にカネを配る骨ならぬ「肉太」政策が強調されています。

時と場合によっては、肉付きも必要ですが、骨太と言うからには、骨格を論じなければ、意味がありません。ぶよぶよ肉だけでは、とてもこの国の行く先に向かって歩くことはできません。

体力が落ちているのだから、まずは、肉太にするのも必要ですが、如何なる状況であろうとも、目標を定め、そこに向かって歩き続けるのが、「人ありて成す」国家と言うものだと思います。

09骨太方針」のどこかに、政府の矜持が残され、肉太のバラマキ以外に、骨を強くするエキスが散りばめられていることを願います。                           Goto

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月27日 06:47 | コメント (0)


円空

2009年06月26日

にこやかな微笑みに慈愛の心が沁みる。

私の本籍地は、岐阜市から車で北に約50分(トンネルが三か所も掘られ道路事情が良くなり)。
静かな山合い(山間僻地)。人口が約2000人、岐阜県武儀郡洞戸村字市場790番地でした。

でした。と、申しますのは、平成の合併で、洞戸村が関市に編入されたのを切っ掛けに、墳墓の地から本籍を移すのには抵抗があったのですが、岐阜市内の現住所に移したからです。

親父殿が、中学を出ると、岐阜の高校に、東京の大学にと故郷を離れ、終戦後、地元新聞社に就職、岐阜市に定住しましたので、私は洞戸村には一度も住んだことはありません。

親父殿は「私有財産を持つべきではない」との思想を持っていましたので、公営住宅の仮住まいで一生を過ごしました。そのせいだと思うのですが本籍は洞戸村のまま。で、私もそのままだったのです。

しかし、子供の頃は、親父殿の母親代わりの姉さん(伯母)が洞戸で旅館を営んでいて、毎週土日は洞戸村で過ごしました。山間の村は川に沿って集落が点在します。

板取川の川辺に立ちますと、その頃、川辺で遊んだ記憶が鮮明に蘇ります。
最近、とんと御無沙汰だったその洞戸村に、遠来のお客様を案内しました。

あるべき筈の木工工場が老人施設に変わっていたり、道路が異常に整備されたり、結構、村は様変わりしていましたが、中心街のたたずまいも、山並みも、まったく変わっていませんでした。

その洞戸村の北端に海抜1200m白山信仰の霊山と呼ばれる「高賀山」があり、その麓に千年近い歴史を持つ「高賀神社」があります。

前置きが長くなりましたが、その境内に、「円空上人」のミュージアムがあります。
円空さんは、岐阜の生まれといわれ、ノミとナタを手に全国を行脚、封建社会に苦しむ民衆に仏の教えを説きながら12万体に及ぶ仏像を掘り続けた人です。

なぜ、そんな山奥の神社に「円空」が。高賀神社は全国から山伏や信者が訪れ、円空上人も、この地で入定の決意を固め、最後の作品「歓喜天」を彫った、ゆかりの地だからです。

ミュージアムに入り、展示されている円空仏を眺めていますと、そのにこやかな顔に、心が洗われ、妙に落ち着くのです。ご案内した先輩は、この地は、強い霊気が漂う地ですね。と一言。

円空さんの仏像。その、どこまでも素朴な仏像。そのテーマは、「慈愛」。
そこに過ごした親父殿には確かに自愛の心があったと思うのですが。

その地の血が流れるだけの私にも、慈愛の心があるのか?問い直す、故郷探訪でした。 
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円空記念館           狛犬             歓喜天        観音菩薩
※関市洞戸 円空記念館のパンフレットより

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月26日 06:04 | コメント (0)


花火大会

2009年06月25日

住民エゴにも、弱ったものです。

日本列島。今週が梅雨本番でしょうかね。湿度100%なかなかのジメジメ感です。
梅雨明け10日と言います。明ければ夏本番。今度は暑い暑い気配。夏と言えば、花火ですね。

夜空にパッと咲いて、スーと消える。あの潔さが何とも言えませんね。
不況の影響で、各地の花火大会が中止されるという。何とも世知辛い世の中になったものです。

幸い。我が岐阜では、例年通り、7月の最終土曜日には、長良川中日選抜花火大会(主催中日新聞)が。8月の第1土曜には長良川全国花火大会(岐阜新聞主催)が催されます。

年間を通して岐阜一番の賑わいは、この花火大会。故郷を離れた家族が帰省する。近在から若者が集う。夏の解放感もあってか。街が湧きかえり、息を吹き返し、市民がウキウキする日です。

その大会。2週続けての開催も今年限りかも知れない。理由は御多分に漏れず、景気の悪化で新聞社も経費削減を余儀なくされている。その余波を受けて。

歴史を振り返るまでもないが。長良川の花火大会は、戦後の復興期に、岐阜県民に「夢と希望を与える」一大イベントとしてスタート。勿論、新聞社の読者サービスも大きな目的だが。

根っからの岐阜人である私は、長良川の花火で元気と勇気をもらい。花火で、辛さや涙を忘れ、夢を膨らませ、遠来の客と親しみ、人の輪を築いてきた。花火が無くなるのは、人生が消えるようなもの。

何としても、両新聞社には、頑張って、続けてもらわねばならない。
止めるかもしれない理由の一つに、花火打ち上げ周辺住民の「迷惑」説があると聞く。

屋根に花火のカスが落ちる。見物客が騒ぎを起こす。花火の音がうるさい。新聞社がお礼に来ない。などなど、64年も続いているのに、後から住み始めた住民が、口々に迷惑説を述べる。

おまけに、迷惑料を出せとか。補償金をよこせとか。警備員を増やせとか。まあまあ。なんともおぞましく騒いでいる。それを理由に、コストがこれ以上掛かれば、とてもとても維持はとなっても、いた仕方ない。

私に言わせれば、何を考えている。1年に一度、町に人が溢れ、町に賑わいが戻る日。そんなありがたい日はないではないか。主催者に感謝して、ボランティアをかって出てでも。継続を願え、と住民に云いたい。

迷惑説を唱える人ほど、行政の批判を繰り返し、街の活性化に予算を出せと言う人が多いのだから、本当に始末が悪い。私も、その地区で18歳になるまで育ったが、昔は、そんな奴は一人も住んでいなかった。

全国各地の花火大会は、行政主催が多い。予算カットで中止が相次いでいる中。長良川の花火大会は新聞社の主催だから何とか続いているのだ。関係住民はそこを良く理解して、感謝すべきだと思う。

戦後の混乱期に夢を与えた花火大会。この大不況だからこそ、使命感を持って続けて欲しい。
それには、新聞を読むことと、関係住民の心根が、優しくなることだと思うのだが。

夏の風物詩・長良川の花火大会が消えることだけは、何としても避けねば。
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投稿者: 後藤 日時: 2009年06月25日 05:41 | コメント (0)


自我

2009年06月24日

また、また、また政権を放り出さないで下さいね・・・・・。

気になるので、ブログに書こうと先週から、考えていたが。
あまり、先延ばしすると、後付になっちゃうかも。と、思えてきたので。

日本語は、時として便利で、TPOに合わせ、自分を様々な言い方で使い分けることができる。
しかし、その使い分けが、自信の無さや権力保持に使い分けるとなると、見苦しい。

誰のことかと言うと。麻生首相である。先日の党首討論でも明らかだが。
彼は自分の意見を述べるとき「私は」と「私自身は」とを使い分ける。

「解散の時期はいつですか」との質問に、「私自身で決めさせてもらいます」と。
それって「私が決めます」で、良いと思うのだが。なぜか、「私自身」と言う。

私の解釈ですが。多分、口癖なんでしょう。なぜ、口癖になったかと言うと、自分を一人称で捉えた事がないからだと思う。自分で責任を取らなくてもよい立場で、人生を歩んできてしまったからそうなる。

それに、党首討論では、主義・主張や政策を語らなければならない。自分の考えを言わねばならない。権力者として虚勢を張らなければならない。でも、考えはない。つまり、権力は保持したいが。自信がない。

そんな場合は、「私は」も「私自身は」も怖くて使えない。となると、
「われわれは」を連発して、主体をあいまいにする。三人称に主語をすりかえる。

それも自信のなさの現われで、本能的に安全な場所に身を置こうとする。(日本語の面白いところだが)
大概の人間は、小学校の低学年で、自我が目覚めるものだが・・・・。

一国の首相に向かって、余りにも失礼な言い方で気が引けるが。この人には、自我と言うものがないのではと、疑いたくなる。自我がないということは、「自分が」ないことである。

社会のうわべだけを歩いてきて、首相にまで上り詰めることができたのだから、幸運な人だとはいえるのだが。とても、与党のリーダーとして、一国の宰相の器だとは思えない。

ましてや、この難局に立ち向かい、国のかたちを訴えることができるとは到底思えない。
サミットで「いい格好」して、「ハイ辞めます」って、退陣と言うことになる気がして仕方がない。

そう言えば前首相も。一年前にお父さんの夢??だったサミットを開催。
それを実現したら、理由もなく、サッサと政権を投げ出したっけね。

それも、自我が目覚めていない前首相のせいだと思ったんですが・・・・。
一体、そんな自我すらない首相を誰が選んでいるのでしょうね。不思議な国です。
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投稿者: 後藤 日時: 2009年06月24日 05:50 | コメント (0)


「オナラ」

2009年06月23日

広告は芸術、楽しいですね。

キャンバスに思いの丈をぶつける。絵筆に乗せた画家の命が伝わる。
舞台での迫真の演技に観客は魅了される、役者冥利に尽きる。

芸術、芸能の世界とは縁遠いと思っていますが。広告も、創り手の命が、人に驚きを与え、行動へと駆り立てるもの。だとすると、広告は、常に成果が問われる、もっとも過酷な芸術作品かも知れない。

下の写真をご覧下さい。昨日の朝刊3紙です。最近日本でも韓流ドラマブーム。はまってる人が多いと聞きます。大人気の韓国テレビドラマ「チャングム」の番組宣伝のようです。

でも、メインのコピー。ジンバブエでは「抗議殺到」。香港では「売上大幅減」。中国では「オナラブーム」と、刺劇的な大見出し。これは一体何の広告なのか?「ウ〜ム」と考えてみなければ、よく分りません。

韓国ドラマ「チャングム」の内容は、私も良く分らないので、おさらいしてみますと。

16世紀初頭の朝鮮王朝時代を舞台に、実在の医女チャングム(長今)をモデルにして描かれた韓国の時代劇。韓国では最高視聴率57%を記録し、香港や台湾でも爆発的な人気を呼びました。

母の遺志を継ぎ、宮廷料理人の頂点を目指すヒロイン、チャングム。宮廷内の権力争いに巻き込まれながらも、やがて医学を学び、最後には王の主治医という地位に登りつめるサクセスストーリー。

原題の「大長今(テ ジャングム)」とは、「偉大なるチャングム」という意味で、「チャングム」は、王の主治医にまで登りつめた実在の女性の名前です。

しかし、その記録は、歴代の王に関する文献に「予の体のことは医女チャングムが知るなり」と書かれているなど、ほんの少しに過ぎません。

今回のドラマ「宮廷女官 チャングムの誓い」は、この一文とわずかな資料を手がかりに創られた、ある女性のひたむきな人生を描いた壮大なる物語だそうです。

で、この広告は、何の広告なのか?どのような意図で作られたのか。韓流ドラマの番宣ではありません。むしろ、ブームにあやかった広告です。

パチンコ機器メーカーの新商品の紹介です。世界中が熱狂するドラマ。お客様が熱狂するパチンコ台。そんなイメージの新機種紹介の広告です。大胆な広告で、読者を驚かせてくれました。

でも、一つ分らないのは。なぜ?全国紙3紙のコピーが違うのか。なぜ、朝日新聞がジンバブエで。毎日が香港で。読売が中国なのか?その関連が理解できない?首をかしげています。

その意味まで、解ってしまうと、広告の芸術性が失われるのかもしれませんね。
それにしても、「オナラ」が中国語で「主題歌」と言うのは知りませんでした。

広告は新鮮な驚きを与える芸術ですね???                         Goto

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投稿者: 後藤 日時: 2009年06月23日 06:02 | コメント (0)


短尺

2009年06月22日

不況は己を磨く砥石である。

テレビの総広告費。昨年2兆円を割り込み1兆9千億円となり、4年連続で減少している。
産業分野別でも、金融、住宅設備、家電、自動車などがダウン。
辛うじて、通信や食品、それに、娯楽・興行の分野が頑張っている状態だったが。

ここに来て、環境意識の高まりやエコカー、エコ家電などの減税政策に呼応して、ハイブリッドカーやエコハウスの分野で、明るい兆しが出てきた。

しかし、今年は、全体的に昨年を上回る落ち込み、果たして、回復するのか気になるところだ。

広告屋としては、ここが勝負と宣伝費を増やす積極経営のスポンサーと、がっちりスクラムを組んで、内需拡大に貢献、レスポンスの高い仕事をせねばならない。と思うのだが。

日曜の昼下がり、積み木遊びに夢中の孫(一歳二ヶ月)が、突然、テレビに目を向ける。子供は正直。
なぜか。音である。テレビから流れる、CMのBGMに反応するのだ。

私の認識では、不況になればなるほど、手ごろな娯楽としてのテレビが活躍する率は上がるハズ。
本来ならばCMの効用が再認識されてしかるべきだ。

そこはそこ。先を見通す企業は、ここをチャンスとばかりに、高感度に注視したCM作りで一気に攻勢をかけている。その秘訣は長尺でストーリー性のあるCMのようだ。

長尺とは、テレビCMの主力は15秒。それを30秒、60秒で放送する時間の長さを言う。時間が長い分だけ、物語や世界観まで表現でき、商品のみならず企業理念までも、じっくりと訴えることができる。

長尺CMは、コストが掛るため、勇気が必要だったが、需要減が幸い。放送料金がダウン。長尺でストーリー性のあるCMが結構増えた。その代表例が、グリコの「25年後のさざえさん一家」だとか、ソフトバンクの「白戸家」だ。

ある程度の予算があれば、どのスポンサーも、長尺のCMを作りたいのだろうが。
いくらコストが下がったとはいえ、テレビCM料金は高い。予算を捻出するのは大変だ。

となると、予算をかけず、高感度を得て、更に、レスポンスが取れるCMづくりに知恵を絞らねばならない。勿論。長尺ではなくて、「短尺」15秒で勝負してである。

だとすると、暗い時代。ユーモアで話題性を取る努力をするか?
それとも、孫娘が思わず注目するほどのBGMを工夫する必要がある。

条件が悪ければ悪いほど、知恵を絞り、ストーリー性もあり、ユーモアもあり、BGMにも工夫を凝すCMを作らねばならない。それも、困難覚悟の「短尺」15秒で勝負するCMを。

不況は、己を磨く砥石である。と腹を据えて。
                                        Goto

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月22日 05:59 | コメント (0)


法事

2009年06月21日

形式に捉われなくても・・・・・・・。

昨日は、亡き親父殿の23回忌法要(法事)を執り行いました。
と、書きたいところですが、元来の無精者、手抜きで済ませてしまいました。

冥土で、親父殿が、どんな顔をしているか?チョッピリ心配になりました。

菩提寺の住職殿に、相談。日曜と土曜ではどちらのご都合が?朝一番の法要だと、通常は何時からでしょうか?お経の時間はどの程度係りますか?と。

「大概は日曜日にやられます。ま〜、早くても朝10時ですな。30〜40分を予定してますが。」
「そうですか。では、土曜日。朝9時から。一番ありがたい(短い)お経を上げて戴けませんか〜」

「それに、申し上げにくいんですが。会食はなし、ってことでも、良いでしょうか?」「構いませんよ」
「ありがとうございます。では、6月20日、土曜日、9時って事でお願いします」と日程を決めました。

「あんたは。法事を何んと心得ているんですか」「朝の9時から。無精にもほどがある」と84歳のお袋はカンカン。「でも、お寺さんにお願いして、お経を上げてもらうんだから・それで・・・・・」とぶつぶつ。

そもそも、法事とは、仏教の教えを学ぶこと。それが、どこで、どうなったのか。初七日。四十九日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、三十三回忌と限りなく繰り返される。

我が家の場合は、分家の分家だから、親父殿の法事だけで済むのですが。代々にわたる家では、年中誰かの法事をしなければならない。それは、それで、いいのだが。

その都度、兄弟、親戚が集まっては大変だと、思うのだが。母親にしてみれば、形を整えないのが不満でならないらしい。形式に捉われないのを無精というのなら、私は無精者だろう。

しかし、私は、毎朝、仏壇に手を合わせ、日々を感謝し、自らの至らなさを親父殿に相談している。
私にとっては、故人と日々会話することが、仏教の教えであり、それが法要ではないかと考えている。

住職殿曰く「朝の早い法事は、助かります。私は、朝6時からお経を上げ、竹箒を持って境内を掃除するんですよ。それに、今日は、もう一軒、法要があるんです」と。

早朝法事。午後の予定が立つと、子供たちの評判は上々。
形式に捉われないだけで、無精じゃないですよね。          Goto  

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月21日 06:09 | コメント (0)


子供のドナー

2009年06月20日

いい加減に結論を出しなさい。まだ、何を議論せよというのですか?

人は死にません。たとえ肉体は朽ち果てても、その人と共に生きた人の心に、何時までも生き続けるからです。その人を思う人の心に生き続けるからです。

先日、兄弟のない私にとって、兄と慕い、公私に亘り薫陶を受けた先輩の七回忌がありました。
ご家族はもとより、親戚、知人多数が、写真を囲み、遺徳を偲びました。

参列者がそれぞれの立場から、次々に思い出を語りました。その一つ一つのエピソードと、参列者が抱く彼への思いとが重なり合い、まるで、そこに居るような錯覚に駆られました。

人は死なないのです。その人を思う人の心に生き続けていると、本当に思いました。

彼は、若くして肝臓を患い、病魔と闘いながらも、そのおおらかな人柄で、実に多くの人に頼られ、愛された生き方をしてきました。私も彼を頼った一人です。

病魔は、彼の肝臓にがんを発生させ、肝硬変へと蝕んで行きました。そんな折、彼に光明を与えたのは、医学の進歩。生体肝移植でした。11年前。縁あって、ソウルで移植を受けました。

それから、4年間。子供達の結婚を見届け、孫とも対面でき、充実した仕事をこなしました。が、残念ながら、癌が転移。享年58歳の生涯を遂げました。

12年前の「臓器移植法」制定の折にも、脳死判定を巡る激論があり国会が紛糾したと記憶しています。しかし、「臓器移植法」のお陰で、臓器移植そのものが認知されるようになりました。

彼は、国内ではドナーが見つからず、海外での移植になりましたが、移植法のお蔭で、四年間の命が授かりました。苦しみが和らぎ、一生懸命生きることができたのは、この法律のお陰だと思っています。

衆院で「臓器移植法の改正案」が通過しました。これから、参院で審議されるとのことですが。
この問題の要点は一つです。子供のドナーを認めるかどうかです。

それにも拘らず、12年前と同じ、脳死を死と考えるかどうかの議論が尽くされていない。と
話を振り出しに戻すような、メディアの論調が気になります。

そもそも、倫理観から臓器移植に反対の人と医学の進歩を信じる人が、死生観をいくら議論をしても仕方がないのです。だから、政党も党議拘束を外して、採決に臨んだのです。

しかし、この問題は、病に苦しむ子供がいる以上、どこかで結論を出さなければならない話です。
なぜなら、海外ではドナーの年齢制限などないからです。移植を規制することはできないのです。

外国の子供がドナーなら良いのですか?

何時までも放置しておいてはいけないと思います。ましてや、議論が不十分などと、為にする逃げ口上は許されません。国会議員の死生観に判断を委ねる、この選択方法は賢明な策だと思います。

人は死なないのです。残された者の心に、永遠に生き続けるのです。
この改正案に、先輩なら、何と答えるのでしょうか・・・・・・。私はドナーカードを持っていますが。
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投稿者: 後藤 日時: 2009年06月20日 06:10 | コメント (0)


酒呑み

2009年06月19日

恨めしい道路交通法の改正・・・・

酒呑みの厭らしさは、並大抵ではない。と、自分ながら呆れている。
少々の飲酒なら、運転ぐらいは、などと、一昔前なら、社会も、本人も、鷹揚に構えていたが。

昨今は違う。「飲んだら乗るな」。運転者は一滴のアルコールも厳禁である。
車社会の地方でも、飲酒運転は許されない。(当然だが)

都会では理解できないだろうが、職場で今夜は一杯となると、公共交通機関が未整備な地方では、まず、足の手配から考えねばならない。これでは、飲むのが面倒になるのも分らないではない。

しかし、健康を害するまで酒を飲むのもどうかと思うが、酒ぐらい飲んで日頃の憂さを晴らして欲しい。
でないと、このままでは、地方の飲食業は成り立たなくなってしまう。

この1日から、道路交通法が改正され、飲酒運転の罰則が一段と強化された。
飲酒運転を容認する積りはないが、誰も言わないので、批判覚悟で。

悪質な運転に対して、より厳罰を科すのは当然と、納得できるのだが。
酒気帯び運転に対する罰則は「あまりにも」厳し過ぎる気がする。

呼気1リットルあたり0.25mg以上の場合。免許停止期間90日以上から、欠格(必要な資格に欠けること・免許が収得できないこと)期間2年以上になった。これって8倍。酷すぎるんじゃないか。
(3年以下の懲役、50万円以下の罰金・0・25未満も同様)

0.15以上0.25mg未満で、減点13点。免停90日以上も3倍に。異常な気がする。
あまりにもヒステリックだとしか言いようがない。人間は、一人として同じ体質の人はいない。

酒粕を食べただけで、酔っぱらう人もいれば、一升酒を飲んでも、ケロッとしている人もいる。
それを、一定の検査で、画一的に罰するのはおかしい。と思うのだが。酒呑みの厭らしさだろうか。

私の唯一の楽しみであるゴルフ。炎天下でプレーして、ひと風呂浴び、グィッと、飲みほすビールの味はたまらない。そのいい気分を、運転するからといって抑制させるのは、自由の侵害だと訴えたいくらいだ。言い過ぎだろうか。だろうね。

4月発売になったキリンビールのアルコール0%のビール風味飲料「キリンフリー」
高速道路のサービスエリアやゴルフ場で大変な売れ行きで瓶の製造が追いつかないらしい。

酒呑みの私としては、ビール風味とは何だ。アルコールが入っていなければビールとは言わない。
こんな、紛いもので、お茶を濁せ。いや間違い。酒を濁せと言われても・・・・・・。

ゴルフの後の醍醐味がそがれてしまう。
これも技術革新。新商品が次々に登場するのは良いことだと思うのだが。

皿の上にコップを置いて、酒を注ぐ。それも、皿にこぼれるまで注がなきゃ、と呆れるほどの、
厭らしい酒呑みとしては。何とも恨めしい道路交通法の改正だ。
                                      Goto

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月19日 05:46 | コメント (2)


農業国

2009年06月18日

「黄金の10億人」と「飢えた10億人」

ブログにはそぐわないのですが。結構、納得できる話なので、ちょっと書いてみます。
この国は、何時から、農業国ではなくなったんでしょうと、考えていましたら。

そんなに、昔の話じゃないってことに気が付きました。
私の子供のころは、農業が国の主体でした。母親の実家が百姓。いまでもそうですが。

田植えの「シーズン」(この時期ですが)には、親から、「手伝いなさい」ときつく言われてたのでしょう。
嫁に行った娘まで、狩りだされたものです。私も連れられ、その風景を見ていました。

50年前の話です。その頃、日本は農業国だったはずです。だとしますと、農業国だと言わなくなって、まだ、半世紀も経っていない。岐阜市は県都です。わりと町の部類。農業が衰退したのは、ほんの、20〜30年そこそこってことではないでしょうか。

二千有余年の国の歴史から比べれば、瞬きほどの時間。にも拘らず、四半世紀で農業を捨ててしまったようです。果たして、これで、良いのでしょうか?不思議な気がしてなりません。

ロシアの大統領が、朝日新聞に寄稿しています。
生活の質を測る第一の指標は、食糧供給の水準である。世界は、経済危機に陥っているが、食料問題が解決したわけではない。

貧しい国では飢餓が強まっている。世界には「黄金(先進国)の10億人」と「飢えた10億人」との定義が生まれ、貧しい国での飢餓が強まっている。

専門家の予想では2030年には、穀物消費が40%増加する。多くの途上国にとっては、穀物の安定供給と確保が、社会経済の安定の基準となる。ロシアは世界の穀物の5%の生産を占めるに過ぎないが、可能性は14%まである。

ロシアは自らの責任を自覚し、穀物生産を向上させ、他の農業生産大国と共に「食糧安全保障の保証人」となる。と述べ、国際社会は食糧危機に備える新しい段階の時代に入ったとの、認識を示した。

現職大統領の寄稿に驚いていると同時に、ロシアの食糧問題に対する確かな国家戦略が読み取れる。

日本は、工業製品の輸出で稼いだ外貨で、食糧を輸入。今は「黄金の10億人」の側にいるが。農業の大切さを放棄してしまえば、「飢えた10億人」の側に、いつ転落するやもしれない。

にも関わらず、太平楽を決め込んで、食糧自給率にも真剣に取り組まない。ましてや、農業政策には、補助金を付ければ良いと考えている。あまりにも、近視眼的。国家戦略も世界戦略もない。

食糧の根幹である農業を、こんなに簡単に放棄して良いのだろうか?
梅雨空を眺めて、あの頃の、祖父母の笑顔が浮かんできた。
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投稿者: 後藤 日時: 2009年06月18日 06:14 | コメント (0)


シーリング

2009年06月17日

予算の仕組みを根本から変えるなら・・・・・・・・。

千葉市で、民主党推薦の候補が市長に当選、これで政権交代への流れが一気に加速。
東京都議選(事前)に首相が応援に駆けつけ、「都議選は政権交代を賭けた選挙」と訴えている。

地方選挙で首相が国政を論じている。信じられない。負けたらどうする積りなんだろう。
政権を放り出すかもしれない。野党のみならず。与党からも、政治感覚に疑問の声が上がる。

あえて、東京都民に、この国の将来を問うのも、一考だが。
これでは、本当に政権末期症状だ言わねばならない。

こんな政権に任せて良いのかと思うことがある。それは、例年なら夏に行う、来年度の予算概算要求(シーリング)を、今年は7月3日までに閣議了解する方向で検討していることだ。

先頃通過した大型補正14兆円。独立行政法人と公益法人(天下り先)に約3兆円。46基金に約4,3兆円(運営は官僚の天下り団体に丸投げ)。公共事業に約1,8兆円。それに施設費(箱モノに)約3兆円。どうも国民に届いたのは定額給付金だけ。やっぱり、経済対策になっていない。

官僚に言わせれば、財務相のチェックなしに、フリーパスで、予算要求が通るのは、それこそ、百年に一度のチャンスだったらしい。史上最後の大盤振る舞い。省益のすべてを賭けて取り込んだと。

これではまるで、火事場泥棒じゃないか。なんとバカバカしいことか。

それが、今度は、次年度予算も、政権のドタバタに紛れて、省益のため、かすめ取れそうだと、シーりングの前倒しににんまりしてると聞く。これでは世も末。

そもそもシーリングとは、予算編成にあたって、安易な予算要求を抑制し、歳出規模の膨張を防止するため、政治が指導権を発揮する目的で定められた要求基準だが、その歯止めも効かない。

むしろ、官僚の言いなりで、助長すら許しているありさま。
日本の芸能に、「二人羽織」って芸がある。黒子が羽織から手を出し、勝手な振る舞いをする芸だ。

政権維持に汲々とするあまり、地方選挙と国政選挙の区別も付かず。「二人羽織」の裏方が前面に出るのも規制できず。これでは、政権が交代しても、当分は、後遺症で悩まされそうだ。

出来ることなら、シーリングは、総選挙後にしてもらえないかと思う。

そう言えば、大阪の橋下知事、当選後、三か月、暫定予算で通したのを思い出した。
予算の仕組みを根底から変えるなら、悪しき習慣と化した、シーリング制度は廃止すべきだと思うが。
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投稿者: 後藤 日時: 2009年06月17日 06:01 | コメント (1)


交通事故

2009年06月16日

緊張感を持って運転を・・・・・・・。

梅雨入りにも拘わらず、以外に雨が降りませんね。今年の梅雨は長引き、7月下旬までずれ込むかもしれません。ジメジメした日が続きますと人間イライラします。特に、運転には注意が必要です。

イライラによる交通事故は、湿度の高さとは関係ないようなデータが、発表されました。岐阜県の職員・教諭で、処分を受け(06〜08年)たが、非公表が352名。その内、60%以上が交通事故だそうです。

公務員の処分は、免職、停職、減給、戒告の懲戒処分と、訓告、注意(厳重注意)の6段階に分けられ、訓告と注意は非公表が原則となっている。理由は「訓告と注意は地方公務員法上の処分でない」からだと言う(朝日新聞)

交通事故の大半が、非公表なのは、対した事故じゃないんでしょう。地方は車社会。自分がいかに気を付けていても、相手があること。如何ともし難いのもありますので、理解できます。

交通事故の原因は、大半がスピードの出し過ぎだと思っています。時間に余裕を持てば、大方の事故は防げるというもの。ましてや、公務員は司、司を預かる、社会の要。

社会の要が、時間に追われ、スピードを出し、それが原因で、事故が多いようでは、岐阜県に落ち着きがなくなります。荒廃した時代だからこそ、公務員はどっしりと、構えて欲しいものです。

非公表の訓告と注意に、「公用車の車検や保険の手続きが滞った際に公費が使えないと思いこみ、自腹で約四万円を払った」との例があります。

私には信じられない例だと思います。なぜ、車検や保険の手続きが滞るのか?自腹で払うってことは、公私混同ではないのか?この処分も交通事故扱いだとするならば、処分にお手盛りはないのか?と、疑いたくなります。

メディアのように、目くじら立てる必要もないかも知れませんが、世の中が、混沌としてきました。
とりわけ、長年続いた政治権力が移行する気配です。

その際、最も重要な位置にあるのは公務員です。何よりも、公務員の意識だと思います。

田舎のおっさんとしては、公務員の不祥事には興味がありませんが、非公表処分の対象に交通事故が一番多いと聞けば、もう少し緊張感が必要なのではと・・・・・・・。

我社のスタッフも車で、仕事をしています。
雨降りには、特に注意を払って運転して欲しいものです。
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キムラユニティー様よりご提供

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月16日 07:05 | コメント (0)


次世代電池開発

2009年06月15日

価値ある外郭団体を見つけました。

これですよ。この体制。サッカーの日本代表のような、この体制を待っていたんです。
「経産省所管」の新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)にエールを送ります。

外需拡大の決め手は、何でしょうか?答えは一つ。日本企業の国際競争力を強化することです。
そうですよね。では、どの分野で競争力を強化すればよいのか?それもほとんど答えは決まっていますね。環境問題である地球温暖化対策の分野ですよね。

となりますと、輸出産業の環境化。取り分け、中核である自動車、電気の分野で開発が急がれるのは「次世代電池」と言うことになりますね。誰もが納得の競争力強化策です。

各企業や大学、研究機関は、厳しい競争に生き抜くため、予算を捻出。それぞれが高性能電池の開発を進めているのも理解できます。しかし、基礎的な研究には、膨大なコストと時間が掛ります。

このことは、心ある国民なら誰もが分っています。だとすれば、解決方法は、「次世代電池」開発に、国が積極的に関与すればよい。ってことになります。

積極的とは、まず、目標を定めることです。そして、関係機関を一つにまとめることです。さらに、心ない国民の批判を蹴散らして、潤沢な予算(税金)を投入することです。(今度の補正予算の使い方に異議ある一人として、なぜ、産業の技術開発に、もっと予算を付けないのか。と怒ってます)

で、なぜ、NEDOにエールを送るかと申しますと、NEDOは自動車関係5社。電気関係7社。大学など10機関の22の企業と機関が、研究拠点を京大に設置して、50人以上の研究者が常駐。「次世代電池」開発のため、共通の基礎技術体制をスタートさせたからです。

これぞ、今やらなければならない外郭団体の役割です。(感動的なプロジェクトだと思います)

目標は、2020年までに電気自動車の走行距離を3倍にする。予算は7年間で210億円(お金があれば良いというものではないでしょうが。少なすぎる、ゼロが一桁違っても、と思っています)が投じられます。

これこそ、「次世代電池開発」の日本代表チームです。天下りの温床だとやり玉に挙がる外郭団体も、「理」に叶った仕事をすれば、国民は納得すると思います。

疑問。なぜ、東大が、大学など10の研究機関に入っていないんでしょうかね??
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6/12日本経済新聞

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月15日 06:55 | コメント (0)


メディア民族

2009年06月14日

WHO、警戒水準「フェーズ6」の意味は重いと思う。

日本人は、熱しやすく、冷めやすい民族なのか?私はそうは思わない。そもそも、農耕民族。
農作物を一瞬にして失うような自然の猛威に何度も晒され、なすすべもなく佇んできた歴史からして。

決して、瞬間湯沸かし器のように、すぐに沸騰したりは、しない。むしろ、自然の前に頭を垂れ、我慢強く耐える能力も、物事をじっくり考える体質も身に付いた民族だと思う。のだが。

情報社会が、ますます発達。その影響なんだろうか?最近は、熱しやすく冷めやすくを通り越して、「慌てで、すぐ忘れる」国民性に変わってしまったのではなかと思うことが、しばしば・・・・・。

10日現在。冬に入った南半球で新型インフルエンザの感染者が増大の一途を辿っているという。
オーストラリアでは、一日に100人以上のペースで増えているらしい。

世界的には死者の数(143人)もじわじわと増えている。WHOは世界的大流行(パンデミック)を意味する最高の「フェーズ6」に引き上げた。世界がウイルス戦争に入ったとの意思表示。

なのに、日本では、弱毒性だからたいしたことはない。とか、夏を迎えて気温が上がり、心配はなくなったとの印象が広がって、国全体に緊張感が感じられなくなった。(騒ぎ過ぎも問題だが)

この急激な「忘れ方」、「冷め方」はどうなっているんだろうか。何でもメディアのせいにしたくはないが。水際作戦が失敗。国内感染に移行したとなると、途端に扱いが小さくなる。(特にテレビは)

これでは、国民の関心が薄れるのもいた仕方ない。メディアの過熱報道が、国民を熱くし、他に話題が移ると急激に冷めるってことになる。これではまるで、日本人は農耕民族ではなくて、メディア民族だ。

WHOの警戒水準は地理的な尺度で定められているそうだが、最高の「フェーズ6」に引き上げた意味をないがしろにしてはいけない。地球を覆うウイルス。病原体が、いつ、強毒性に変わるかわからない。

「備えあれば憂いなし」とも「天災は忘れた頃にやってくる」とも言う。他国のこと、などと、安易に構えていると、とんでもないことになるやもしれぬ。自衛のための対策を良く考えてみたい。

それに付けても、メディア(マスコミ)の責任は重い。
命にかかわる問題。丁寧な、丁寧な報道を願いたい。      Goto 

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月14日 06:23 | コメント (0)


川柳と共産党

2009年06月13日

頑張れ。夕刊編集長殿・・・・・・

新聞命の私。休刊日にはホッとします。なぜかと申しますと、「新聞を読まなければならない症候群」から解放されるからです。新聞がポストに入ってないんですから、当たり前ですね。

最近は夕刊に凝ってます。毎日新聞の夕刊は、実に面白い。「特集ワイド」のコーナーが特に良い。インタビュアーと記者の微妙な駆け引き、読んでて、楽しくなる。

10日付。記者「なぜ、オバマ米大統領に書簡を送ったのか?」

「プラハでの核兵器のない世界へ。と題した演説に歴史的だと共感したからです。注目したのは三点。一つは核兵器廃絶を国家目標とすると初めて明示した。

二つは広島・長崎での核兵器使用が人類的道義に関わる問題であると初めて明記し、核兵器廃絶へ向けた責任を語った。もう一つは、世界諸国民の協力を呼びかけた。からだと。

共産党の志位委員長と記者のやり取りです。へ〜!あの独善的な共産党が、今だに、綱領でアメリカを帝国主義と規定、敵視しているのに?親米に変身したのか・・・・・・・・??

どうもそうではないらしい。マルクス・エンゲルス全集の一節に「偉大な民主共和国の思想が始めて生まれた土地。そこから最初の人権宣言が発せられ・・・・・・」と、リンカーン大統領の再選にマルクスが祝意の書簡を送っているのを引用。自分をマルクス。オバマをリンカーンに見立てての書簡らしい。

そうだよね。ならば、納得できます。でも。共産党は世界の世論を反映して前向きの変化が起こったときは、何事も積極的に評価していく方針だと??

だとすれば、日本の世論も反映して、現下の状況にも前向きに対応して欲しいものです。が。
世界と国内とでは別なんでしょうかね〜。

いやいや、話がそれましたが、インタビューではジャズが好き。マクドナルドも食べる。ディズニーランドにも行く。アメリカナイズされた共産党委員長。結構、興味深く読ませてもらいました。

同じ夕刊。夕刊編集長(近藤勝重さんと書いてあります)が、朝刊の川柳コーナーから、女性の作品1000句を厳選。「女の一生」と題した川柳本が出版されたと紹介しています。

若い世代の作品
お互いを知ったところで恋終わり
金じゃない愛だと言って後悔し

中年女性の作品
愛された頃は私も愛してた
ある決意決めたらあとは楽になり
好きでしたあなたの会社と出身校

高齢者と思われる作品
亡夫の靴へふと足入れてみたくなり
酒タバコ節して100歳ひとりぼっち

味わいがありますね。心憎いほど逞しい現代女性の息遣いが聞こえますね。私にとって新聞に掲載される川柳は「新聞を読まなきゃならない症候群」の清涼剤のようなものです。

共産党から、川柳本の紹介まで、最近の夕刊、廃刊になるかもしれないとの危機感の表れもあってか、
創意工夫はなかなかのものです。

夕刊編集長の奮闘に敬意を表すとともに、
夕刊を愛する読者がいる限り、灯を消さないでと、心より願います。
                       Goto

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月13日 06:17 | コメント (2)


広告大賞

2009年06月12日

新聞広告の良さを再認識願います。

先頃、「読者が選ぶ広告」の受賞作品が発表されました。この賞は、08年4月〜09年3月の期間、読売新聞に掲載された広告が対象。今年で25回目を数えました。

広告は世相を写す鏡。受賞作品を眺め、改めて広告は世の中の志向を反映するものだと頷いています。大賞はシャープの「救うのは太陽だと思う。シャープは、世界のソーラー・カンパニーへ」(写真)

まさに、環境問題に正面から取り組む企業姿勢を鮮明にしています。また、1948年生まれの前田美波里さん。18歳「人生はどこまで美しくなるのでしょう」の写真と現在の「ピースな顔してわたしは歩く」(資生堂)の二頁組みが、選考委員の特別賞を得ました。(プロ的には、これは凄いと思いました)

団塊世代をターゲットにした広告です。私も掲載日にブログで、紹介しました。金賞は、「ルイ・ヴィトン」のストーリー性とビッグタレントを組み合わせた作品。広告屋的には、ここまで予算を掛ければ!!

銀賞は、宝島社の書籍広告。心の渇きに「いい毒は薬」と読書を薦めています。これもブログで紹介しましたが、読者がこの作品を銀賞に選んだのは、新聞と書籍広告の相性がとても良いからでしょう。

銅賞は、ソフトバンクモバイルの「お父さん」(白い犬)が「年間純増No1」とちょっぴり自慢顔。テレビとの連動広告です。(なんで、犬がお父さんなのか?露出度も決めてなんですかね〜)

さすがに受賞作品だけあって、力作ぞろいです。
制作担当者の創造力と努力の結晶です。

昨今は新聞広告が効かない。と、スポンサーも敬遠がちですが、そんなことはありません。
企業イメージをしっかりと表現でき、芸術性もあり、読者の心に残るのは、やっぱり新聞広告です。

そんなに嫌わないで下さい。                               Goto      


6/5読売新聞
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読者大賞 シャープ  選考委員特別賞 資生堂

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金賞 ルイ・ヴィトン          銀賞 宝島社          銅賞 ソフトバンクモバイル

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月12日 06:42 | コメント (0)


努力

2009年06月11日

国の宝です。政治的に利用することのないようにお願いします。

今日のテーマは重すぎる。私如きが、ブログで書くのもおこがましいが。しかし、やっぱり。近い将来のために、書いておいた方が良いと思うので、敢えて・・・・。

「眼が一度だけ、見えたら。お母さんの顔が見たい」。辻井伸行君のコメントを読んで、涙が止まらない。どうにも止まらない。もともと、涙線は緩んでいるのだが。泣けて仕方がない。

それが、彼のこととなると、涙線が緩むのは、どうも私だけではないらしい。
友人たちも皆、涙が溢れるようだ。私の仲間は素晴らしい奴らばかりだと思う。

なぜ、泣けるのか。彼が障害者だからだろうが、それもある。でもそれだけではない。では、彼が若き天才だからだろうか。音楽センス皆無の私が、ピアノを聴いて感動するわけでもない。(聴いてみるが)

では、名だたるピアノの国際コンクールの受賞式シーンを見たからなのか。そもそもコンクールの価値が分らないのだから。それも、涙とは関係がない。

では、インタビューに答える両親。子供に対する真摯な姿勢に心打たれるからだろうか。同じ子を持つ親として苦労は分かる。敬意と尊敬の念を強く感じるが、親子の情愛で止まらないほど、涙することもない。

では、なぜか?それは「努力」に対してだと思う。目も耳も口も・・健常者の私たちは、ハンディのある彼の努力が、いかに大変かが分かる。なぜならば、「努力」を怠って、生きてきたからである。

いい加減な努力しかしてこなかったからである。彼が、国際的に評価されたのは、「努力」の度合いが、我々と言いたいが、少なくとも私とは、質もレベルもあまりにも違うから・・・

だから、彼の努力が、想像できるのです。とてつもない努力する姿が浮かぶのです。
その努力する姿を思うと、止めどもなく涙が溢れるのです。

お母さんと帰国、その第一声「器の大きなピアニストになりたい」と聞いて、限りない可能性を感じます。無条件でエールを送ります。この両親に育てられたからこそ。この子は大丈夫だと、感激しています。

ただ、ちょっぴりの不安は、大人が彼を翻弄して、つぶしはしないか。とりわけ、薄汚い政治に利用されはしないか。心配です。政権維持に形振り構わぬ官邸が、「何とか賞」を与えるとか、言い出しはしないか・・・・・・。

でも、そんなことに利用されない立派な両親が付いているから、大丈夫だと、思うのですが。
もし、そんなことになれば・・・・・・・・・。悲しいことです。

私は、涙を拭いて、今から彼の努力の結晶(CD)を自分で買いに行きます。
                                 Goto

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月11日 07:10 | コメント (0)


1万1千円

2009年06月10日

この国は、どこの国なんでしょうか??

一喜一憂しても仕方がないのですが、景気が底を打って、上向いたとの情報に安堵したり。
街に元気が戻った。景気は回復基調に入った。などと聞けば、「本当かな」と疑って見たり・・・・・

長期化する不況に・・・・苛立っているこの頃ですが。5月の銀行・信用金庫などの金融機関の「預金」高が前年同月比0,7%増加。06年10月以来の高い伸び率となったそうです。

って、ことは、政府が、GDPを0,3%押し上げると胸を張った定額給付金。その多くが使われず「預金」されたことになります。内需の拡大の切り札だったはずですが?どう分析したらよいのでしょうか?

内閣府もいろんな調査をするものだと思うのですが?街角で拾った景気状況を三ヶ月前と比べた判断指数(DIと言う?)では、五ヶ月連続で改善した、そうです。

その理由が、「エコポイント」の導入。定額給付金の支給拡大。高速道路料金の引き下げなどで、景気の改善を感じる人が増えたとの分析によるものです。(読売新聞) 本当なら嬉しいんですが??

随分色あせてきましたが。「経済財政改革の基本方針」(09骨太の方針)が発表になりました。
経済回復を優先する意気込みは理解できますが、財政再建は先送り。財政健全化も中途半端。

「歳出改革を継続しつつ、経済状況への必要な対応を行う」との官僚任せの曖昧な文章。総選挙目前の骨太の方針。これでは、政治の意思がまったく感じられない。大丈夫ですかね〜、この国。

そうそう。東証の日経平均株価。あと一息で、1万円の大台に迫っています。1万円台に乗れば、市況のムードも変わり、経済マインドが高揚するかも知れません。

しかし、実態経済に明るい兆しが見えないのに、なぜ、株価が上昇し始めたのでしょうか。理由は簡単です。昨年の7月から、日本株を売り越していた外国人投資家が4月から買い越しに転じたからです。

なぜ、転じたかは、米国金融機関の特別調査が終わり、これ以上の悪化はないとの安心感が広がったからです。専門家の予想では今月も買い越しが増え、1万1千円台も夢ではない、とのこと。

となれば、政府の骨太の方針や、補正予算や、街角景気指標などで一喜一憂する必要ないですね。
ただ、アメリカの政治経済を見ていれば、景気の動向は分かると言うもの。

だとすれば、一体、この国は、どこの国なんでしょうね?
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投稿者: 後藤 日時: 2009年06月10日 06:50 | コメント (0)


横暴

2009年06月09日

「第四の権力」、マスメディアは謙虚であれ。

世の中には、驕りが幾つもありますが。マスコミ権力ほど横暴なものはないと思います。
岐阜のような田舎に住んでいますと、マスコミの信頼性は異常に高いものがあります。

取り分け、新聞記事は絶対的なものとして取り扱われています。ですから、影響力が強く、「批判的な記事」などが掲載されますと、地域全体から「白い目」で見られ、仕事に支障が起きたり、街に住めなくなります。

それがメディアは「第四の権力」と言われる由縁なんでしょう。人間は権力には弱いものです。「ペンの暴力」を恐れ、行政も、政治家も、財界も、各種団体さえも、新聞社には一目置きます。

それを良いことに、経営者も強大な権力があると錯覚しているようです。しかし、それはおかしいのですが。間違ってると思っても、なかなか、批判出来ないものです。

私の持論ですが、マスメディアのトップは「その影響力」からして、各種団体の役職には付くべきではないと思います。例えば、新聞社のトップが、地方の商工会議所の会頭になるのはおかしいと、思いませんか?

新聞が公器であるとするならば、特定の団体の代表になること、そのものが、公平性を自ら放棄することになります。ましてや政府の戦略会議の委員などには、なるべきではない。と思います。

首相肝煎りの「安心社会実現会議」で厚労省の分割を提唱した読売トップ。行革反対の読売新聞ですから、官の肥大化に手を貸す発言も分からなくはないですが、政府を援護したつもりが「贔屓の引き倒し」です。

迷走内閣の足を引っ張ってしまいました。これを「マスコミの横暴」といわずして、なんと言うのでしょうか。それを、苦々しく思っている国民は多いと思うのですが、他紙も「同じ穴の狢」で批判しない。

読売のトップは、「メディア権力」を背景に、何をしても、やっても許されると、驕っている。
その横暴を「老害」と言うんですが、誰にも止められないのが、この国の不幸の一つだと思うのですが。

言いすぎでしょうか?「え〜。何ですか?」「彼が横暴であって、マスメディアは、謙虚だ」ですって?
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投稿者: 後藤 日時: 2009年06月09日 06:11 | コメント (0)


クールビス

2009年06月08日

清潔感が、最も大切だと思います。

今週は梅雨に入るとの予報です。猛暑が予感される夏の前哨戦として、気になるところです。
雨は天の恵み。水がなければ、自然も人も生きていけません。感謝するのですが・・・・・。

ビジネスマンにとって、身だしなみを整えるのは、必須です。開放的な企業では、服装を自由にしているようですが、我社は、古風なのかもしれませんが、営業はスーツ着用を原則としています。

ところで、最近の衣料革命には、驚いてます。一昔前なら、高温多湿のこの時期、雨に打たれての営業、スーツは濡れるわ、汗はかくわで、大変でしたが、雨にぬれても皺にならないスーツだとか、発汗性の高いワイシャツとかが開発され、それも廉価で販売されてます。

さらには、小池元環境大臣の肝入りで、5年前から始まったクールビズのお陰で、ネクタイを外すようになり、お洒落な、シャツが随分出回り、ビジネスマンのファッションも様変わりしました。

我社でも、今日からクールビズにしました。制作スタッフは、個性あるファッションで働いてますから、気にならないでしょうが、ネクタイを外すことは、営業マンにとって結構勇気のいることです。

ですから、お客様に不快感を与えないようにとか、TPOをわきまえてとか。注釈を付けてのスタートです。服装なんか。どうでも良い。問題は、中身だ。と息巻く人もいますが。

私はそうは、思いません。人は自分のことはさて置き「第一印象」で人を判断するものです。
不快感を与えない服装で接客し、その上で、中身の勝負をすればよいだけの話です。

広告の仕事をする人で、自信のない人ほど、奇抜なファッションで、機先を制しようと「イキ」がるものです。我社には、そんな、歪んだ個性は必要ないと、思っています。

クールビズであろうがなかろうが、今日一日。出会うであろう人に、不快感を与えないことです。
それには、清潔であることが、最も大切だと思っています。

下の写真を、拡大して、ご覧下さい。先週の金曜、日経と読売の朝刊に掲載された政府(地球温暖化対策推進本部)の省エネ啓蒙広告です。(なかなか、スッキリした出来です)

環境。未来。子供。そして、定番のビジネスファッション。清潔感あふれていませんか。可愛いですね。
でも、ちょっぴり気になるのが。足元。二人の靴。なぜ、大人の靴を履いてるのでしょうかね?

まさか。CO2削減問題で政府の足元がぐらついているから、大きな大人の靴で、足元を安定させているのでしょうかね〜。広告屋って、厭味ったらしい、商売ですね。反省。
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6/5日本経済新聞   6/5読売新聞

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月08日 06:29 | コメント (0)


エネルギー

2009年06月07日

感性が鈍ってきたのかな〜。

先週、久しぶりに江戸に行ってきました。久しぶりと言っても、一ヶ月半ですが。
どうしたことか。以前は、東京の匂いを嗅ぎますと、ワクワクしたんですが。最近はどうも?

なぜか?まず、新幹線の車内に元気がない。名古屋を6時53分の「のぞみ」。去年なら、ビジネスマンの熱気が感じられたのですが。空席が目立つ。パソコン操作や新聞を広げている人が少ない。

何となく緊張感がない気がします。8時半の東京駅。行き交う人の多さは相変わらずですが。
目が悪くなったのか?なんとなくぼけて見えます。張りとか、覇気が伝わってきません。

山手線。車内の広告も心なしか、力がない。広告用語で言えば「訴求力」に欠ける。大概、上京して、最初に驚くのが、電車内で見回す広告。質量ともに、この商品を買って下さい。っていう迫力がない。

サラリーマンから情報を取る定番の場所。新橋駅。どうもスピード感がない。何時もなら、岐阜感覚で歩いていると、後ろから、突き飛ばされるんではないか、と思うくらい早足で追い抜いて行くのが・・

だらっとした感じだ。どうしたんだろうか?残念ながら、東京中を歩き回った分けではない。二、三か所回り、夕方には帰路に着いたので、大仰かも知れないのだが・・・・・・

東京の街に、新鮮さが感じられない。ワクワクもドキドキもしない。
街全体に溢れていた首都のエネルギーが感じられない。

田舎のおっさんとしては、東京は仕事の場所だけではない。情報や知識を得るだけの場所ではない。
江戸の空気を吸うだけで。この国の息遣いを肌で感じ、エネルギーを吸収できるあこがれの場所です。

その江戸で、五感が働かなくなったのは?東京が沈んだのか?(日本が沈むってことだが)
それとも、おっさんの感性が鈍ったのか、エネルギーが切れたのか?よく分らないのですが。

ただ、大好きな人間。その人間の渦にうんざりするようになったのは、歳なのかも知れない。
弱ったもんだ。 次回は、ネオン街でも、徘徊してみるか?           Goto

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月07日 06:28 | コメント (0)


不正義

2009年06月06日

いくら熱しやすく、冷めやすい国民でも、前回の総選挙ぐらいは、覚えてますよ。

あまり失礼なことも、許されないのかも知れないが、鳩山総務相どうなっちゃってるんでしょうかね?
こんな人に、この国の最大、最重要な官庁を任せていいんでしょうかね?信じられない。

韓国の諺で、権力者を四つに分け、一番始末の悪いのは、「訳も分らず権力を行使する」。三番目が「訳も分らず。行使もしない」。二番が、「訳は分かって行使しない」だそうです。

日本郵政社長続投問題の話です。明日の報道番組の討論で、この問題が取り上げられるのかも知れませんが、郵政民営化の賛否を争い、賛成派が勝ち、その上に成り立つ政権。

その所管大臣が、民営化を推進する日本郵政社長の続投を認めないと言う。どうなちゃってるんですかね?「かんぽの宿」を不当に売却しようとしたのは「不正義」だと息巻く。

私に言わせれば、2400億円ものカネをつぎ込み、不採算の「かんぽの宿」を作らせ、「知らん顔」しているのは誰だ。与党政治家と官僚ではないのか?それを頬被りして、後始末の方法が悪いと喚いても。

国民の目からすれば、日本社会の構造を「官から民へ」と改革する。その象徴として「郵政民営化」で信を問うと、前回総選挙したのではなかったか。その考え方を「よし」とした国民の判断が与党の大勝じゃなかったのか。

いくら、熱しやすくて、冷めやすい国民でも、馬鹿にしてはいけない。
だれも、忘れてはいない。

で、「何が、不正義」なのか?なぜ、続投はダメなのか?さっぱり分らない。
「かんぽの宿」売却手続きに齟齬はない。社長続投も「指名委員会」の結論を得ている。問題はない。

ひょとしたら、このめちゃくちゃな続投拒否は、麻生首相の本音である「郵政民営化」反対を、総務相が代弁しているのではないか。そんな気がする。

そうだとしたら、前回の衆院選は何だったのか?国民を騙している現政権そのものが、
「不正義」だと、言わねばなるまい。

そうでなければ、首相は、「一番始末の悪い権力者」と化している総務相を更迭してでも、
郵政民営化の推進を貫くべきだと思うが。
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投稿者: 後藤 日時: 2009年06月06日 06:18 | コメント (1)


レガシーコスト

2009年06月05日

GM破綻に、何を学べばよいのか?

当たり前のことを、当たり前にやる。一切の妥協を許さず、原理・原則に則り徹底的にやる。それも、理路整然とやる。企業が継続、発展する上での経営者の姿勢である。

もう一つ。「人が作ったもので、四半世紀以上、有効なものはない」。経営者には、立ち止まることは許されない。常に変化を求め、革新に努めなければ、生き残ることはできない。

この二つ。どう思われますか?原理・原則を貫くには、よほどの意思が必要です。意志の弱い者が、経営者になれば、不幸の始まりです。それに成功事例にしがみ付く経営者は倒産の危機を免れません。

巨大企業「GM」の落日が経営者に突き付けた教訓です。それは、良く理解できるのですが。
私には、岩をも貫く、強靭な意志があるとは思えません。常に革新する能力も、根気もありません。

では、どうするのか・・・・。

まず、原理・原則を掘り下げる。我社の原則は、広告業は何のためにあるのかの追求です。
そのことが理解できた集団にする。つまり、原則を共有した集団による組織的な運営をする。

企業の原理とは、収益を上げること。そのためには効率の追求以外に無い。それを「機会損失の排除」という。血の滲むような努力によって、適正な収益を上げる。常にそのシステムを追及する。

常に革新するのは難しいが社風で対処するしかない。「因習とは、改革の連続である」とは、先代の教え。広告業界は常に新しいマーケティング手法が登場する。それをいち早く消化する社風を身に付ける。

日本的なのかも知れませんが、私の無能は、組織力と社風で克服する以外にないと思っています。

それにしても、GMの退職者向けの年金や医療費など「レガシーコスト」(負の遺産)は年1兆円を超すそうです。自動車販売の収益で賄えるはずがないと思います。

そうなりますと、GM破綻の原因、いろんな角度で述べられていますが、何で、収益を上げていたのか?そうです、「モノづくり」ではなく、「金融」で稼いでいたのです。

稼げるなら、なんでもやるのが原理・原則?革新性を放棄したモノずくりの社風?
この本質を見失った巨大企業。発表された再生案で復活するのか?私は大いに疑問が残ります。

GMは、偉大な社会主義社会実験をした。企業の枠を超え、金融で。その無謀な実験が破綻した。
だから、GMは、消え去る運命にあるのではないかと思うのですが。うがちすぎでしょうかね?
                                        Goto

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月05日 06:19 | コメント (0)


戦争

2009年06月04日

平和ボケ過ぎやしませんか・・・・・・。

あまり難しいことは論じたくないが、隣国の動きに注視する必要があるのではないかと思う。
傍若無人の振る舞いに、怒りを通り越し、呆れているのが、大方の気持ち・・・・・・・・。

平和裏に解決して欲しいと思うのだが。どうも、その一線を越えた気がする。

日本は、戦後60余年、曲りなりにも、平和を維持してきた。それは平和憲法のお陰だと言う人もいるが、私は、それ以上に先の戦争が与えた甚大な被害が、国民に戦争の恐怖(トラウマ)を植え付け、それがトラウマとなって、平和が維持されてきたのではないかと思う。

しかし、戦後生まれが、人口の80%を超えた今。戦争を知らない人に、観念では反戦の思想を持てるが、体験者の持つ反戦への思いには至らない。(残念なことですが)

となると、相次ぐ隣国の軍事的挑発に、薄っぺらな反戦思想などぶっ飛ぶ可能性は高い。たとえば、アクティブ・ミサイル・デイフエンス(敵地攻撃)論が国会で、まことしやかに語られるのもその現われ。

取り分け、与党の国防対策委員会などからは「座して死を待たない防衛策としての策源地攻撃能力が必要だ」と勇ましい。野党からも「外交交渉の期限を過ぎれば、敵地攻撃能力を持つことを国際社会に理解を求めるべき」といった強硬論も飛び出す。

社民党も共産党も、この問題には、なぜか、沈黙を守っている。戦後生まれが原因とは言うまいが。

「備えあれば憂いなし」準備を怠れば、取り返しのつかないことになる。最悪の事態を想定して、議論することに異論はないが。隣国の暴発は、その域をすでに超えたのではないか?と思う。

不穏当な発言は、如何なものかと思うのだが。日本を射程に入れた中距離ミサイル「ノドン」が、首都圏を狙って、発射されたらどうなるのか。韓国は、戦時体制を取ったと言うではないか。

窮鼠猫をかむの例えもある。北朝鮮は追い詰められている。平和ボケの延長線で、敵地攻撃の法整備を論じていてもらちがあかない。その間に、攻撃されるかもしれない。

朝鮮半島で戦闘が始まり、日本海を挟んで、日本も戦火にまみえる。その現実が目前なのに、泥棒を見て縄をなって、どうするのか。戦争が現実のものとなったとき。法整備の議論など、何の役にも立たない。

戦後60余年。初めて経験する戦争。この国は、本当に、大丈夫だろうかと危惧する。

「備えまでも」選挙の具にしているような、政治家に、対処できるのか?
その存在すら認知されてこなかった自衛隊は大丈夫か?

国家国民より省益にしか、目を向けていない官僚で大丈夫か?
マスコミの、軽薄な論調に右往左往する国民、戦火にまみえることが、耐えられるのか?

とても。耐えられるとは思えない。
それが、この国の現実だ。しかし、我々が頼るのは、政治しかない。

乱世に通用する政治家は誰なのか?反戦思想で腹の据わった政治家いるのか?
その選択の時が先に来るのか?それとも、隣国の暴走による戦争勃発が先になるのか?

実は、この国、かなり緊迫した状況下にあると思う。
田舎のおっさんの冷や水だといいのだが〜。
                              Goto

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月04日 06:34 | コメント (0)


55日

2009年06月03日

党利党略も極まれりですね。

時間は人の命です。その命を見殺しにせず。大切に使いなさい。誰にも、与えられた時間は平等。一日24時間。手持ちの量は決して増えません。最近、妙に納得した言葉です。

もう、何度も書きましたので、自分でもうんざりするんですが、なかなか、衆院を解散しませんね。
問題山積の21年度超大型補正も、あらかた通過したのに。何をためらっているんでしょう。

誰かが「解散する度胸もない。臆病者の首相では、この国が持たない」と叫んでましたが。その通りだと思います。衆院の任期は、100日を切りました。目くじら立てる必要もないのですが。

新聞報道では、当初、国会の会期延長、官邸は45日。自民党幹部は60日と目論んでいたそうです。結果は、東京都議選から出来るだけ離す。任期満了とは思われないようにする。その妥協の産物で55日と決めたようです。

解散日程を巡る駆け引き。国民を舐めてはいけないと思います。45日から数えて15日間の延長。60日からは5日間の短縮。この55日が。与党の命取りになった気がします。

まず、東京都議選。与党が大負けしたらどうするんでしょうね。田舎では頑強な保守基盤も、都会では軟弱です。私は、とんでもない結果が出る気がしてなりません。

都議選と同時選挙が最後の賭けだと思うのですが。それも逃げての55日ではね〜。

それから、7月28日まで、重要法案をすべて上げてしまって国会が持ちますかね〜。まさか、二次補正だとか、次年度の予算編成まで、今の状態でやる分けじゃないでしょうね?

「果報は寝て待て」何事も、時間が解決するって、考え方もありますが。
この話は、任期が決まってる。もう、先送りはできない。そんな、思惑ではね〜。情けない。

すべてを、選挙目当ての党利党略で決めた国会大幅延長の55日。時間は命。
国民をあざけるような時間の無駄遣いが。戦後続いた自民党政権の命を縮めることに・・・・・。

それにしても、強情際が悪いですね・・・・・・・・・。      Goto 

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月03日 05:35 | コメント (0)


気合い

2009年06月02日

レスポンス主義の徹底を。

少し勘違いをしていた。広告業の役割や使命について徹底不足だったと。
広告と言う職業は、どこか。浮ついたイメージがある。そのイメージに惑わされていた気がする。

原因は、白紙の紙に印刷して、時間とともに価値を失う新聞広告やチラシ広告。とか、一瞬にして消え去る映像、音といった電波CMとか、評価の付けにくい内容(それをサービス業と規定しているのだが)
にあるのだが。

だから、レスポンス(広告効果)に対しても、計量しにくい。どこかに、適当で、との、いい加減さが、通用していた。それこそ、最大の無責任である。出稿した以上は、レスポンスに責任を持たねばならない。

つまり、レスポンスのない仕事をしても、安閑として、やり過ごせた。それが許された。
それでは、広告の使命や役割が果たせない。広告屋失格である。

広告を出稿すれば、確実にレスポンスがある。当たり前のことである。それが、当たり前ではなかった。大いに反省している。反省したからには、なぜ、怠ったのかを徹底検証しなければならない。

それには、まず、我社が、何のために存在するのか。つまり、広告業を通じて「地域社会へ貢献」するという、理念が、「絵に描いた餅」になってはいないか?を問い直さねばならない。

次に、私は、今期(この四月から)を、中広「第三の創業」と位置づけてスタートした。
にも拘らず、その意味がいまだに浸透していない。

広告効果(レスポンス)の無い仕事は、犯罪である。如何なる仕事も、浮ついたイメージに毒されることなく、スポンサーの満足に必ず応えることを、旨として、仕事に取り組む。すべてをゼロから出発する。

第三の創業とは、そういうことだ。

それが、徹底できないようでは、「地域社会への貢献」という、企業理念が果たされない。
それでは、この仕事を続ける価値がない。

顧客満足を第一義に、レスポンス主義を徹底する。
気合を入れ直し、妥協を許さず広告業に邁進したい。
                                       Goto        

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月02日 06:09 | コメント (1)


媒体社

2009年06月01日

謙虚に、熱くをモットーに。

5月20日の「GiFUTO」(岐阜市・163、000部発行)創刊以来、連日、知人、友人を始め、今まで育てて頂いた方々から、「読んだよ」「見たよ」「こんな情報誌を待ってた」などと、激励の連絡をもらいます。

ありがたいことでございます。可児市で生活情報誌「かにさん倶楽部」を15年前に発行。お陰さまで、岐阜県下では、11エリア60万世帯に情報誌をお届けするに至っています。

総発行部数は三重、滋賀、福井の8エリアと合わせ、102万部を超えました。

我社は、32年前、中日新聞岐阜版を取り扱う広告代理店として岐阜市に発足しました。
今でも、中日新聞を始め、ラジオ、テレビやリクルート社の商品など、様々な媒体を取り扱わせて頂いております。

社是には「地域社会への貢献」を掲げ、広告業を通じ「地域経済活性のために」寄与することを目的に、広告SP事業と生活情報誌発刊事業を併用させています。

昨年来からの、急激な日本経済の収縮。取り分け、地方経済の疲弊は、地域に根ざしたあらゆる産業や、業種、企業、商店の存亡すら危機に陥れようとしています。

戦後、一貫して右肩上がりの成長が続きました。そのビジネスモデルによって、地方の経済も成り立っていたわけですから、収縮は、想定外です。それに、対処できないのは致し方ないと思います。

しかし、収縮を嘆いてみたところで、何の解決も致しません。むしろ、さらに悪化するばかりです。
広告業も同様で、メディア業界も収縮経済の波に飲まれ、従来のビジネスモデルでは成り立たなくなっています。

それを嘆いていても仕方がありません。業界のビジネスモデルが崩壊したのですから、それ以外の新しいビジネスモデルを模索する必要があります。

我社の生活情報誌の発行部数が、100万部を突破することができたのは、旧来の広告会社では取り組んでいなかった新しいビジネスモデルが、実ってきた証だと思っています。

15年前から続けてきたのですから、このところの、経済収縮とは関係がありません。しかし、GiFUTOに頂いております高い評価は、15年間、地域に密着した生活情報誌を真摯に創り続けてきた証だと自負しています。

100万部発行、家庭に配布する媒体です。生活者のライフスタイルに影響を与える重要な媒体です。
不況だから。大変だからと、安易な儲け主義に走ってはいけない。

謙虚に熱くをモットーに、お客様と読者に愛され、そして、地域社会に貢献する、広告会社であり、媒体社でなければならない。と、新しい月の始まりに決意を新たにしています。
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追伸
ニュービジネスモデル(販売促進)創造のご用命は、中広SP事業部へどうぞ。
アイディアを満載して、お待ちいたしております。

投稿者: 後藤 日時: 2009年06月01日 05:35 | コメント (0)